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【インタビュー】日本福音同盟(JEA)の新総主事、岩上敬人さん 阪神大震災がきっかけでJEAに(前編)
日本福音同盟(JEA、廣瀬薫理事長)の新総主事に岩上敬人(いわがみ・たかひと)さん(イムマヌエル綜合伝道団牧師)がこの4月から就任した。JEA総務局のあるお茶の水クリスチャン・センター(東京都千代田区)を訪ね、岩上さんに話を聞いた。

神学校特集

今日6月27日はヘレン・ケラーの誕生日です。幼い頃の高熱のため、「見えない、聞こえない、話せない」という三重苦を背負うことになりました。しかし、そのハンディキャップを乗り越え、のちに社会福祉活動家とし ...

今週のみことば「一致」
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらった ...

NCC、香港デモに関する声明を発表
日本キリスト教協議会は19日、「香港事態に関する祈りと願い」と題して声明を発表した。香港で9日、「逃亡犯条例」改正をめぐり大規模デモが起きたことに関し、香港キリスト教協議会エリック・S・Y・ソ議長が緊急声明文を発表したが、これを支持するもの。
【CHRISTIANITY TODAY】とらえどころのない存在④ 教会の目的は、世界をより良い場所にすること?(後編)
教会は「すべての国に弟子を作る」という使命を果たすために存在しているというアプローチは間違っている。まず、これは教会の非聖書的な見方だからだ。そして、それは結局、活動中毒を助長するだけであり、私たちが神を求めることをより困難にするからだ。
【CHRISTIANITY TODAY】とらえどころのない存在④ 教会の目的は、世界をより良い場所にすること?(前編)
「福音派的信仰は教会論がない」と批判されることがよくある。失礼ながら、私の考えは違う。それどころか、「福音派は、教会についての不適切で不完全な教義を持っている」と言える。これが、このムーブメントが危機に瀕していると思う理由の一つだ。
【インタビュー】聖公会神学院校長・佐々木道人さん 実習や共同生活の中で育まれる霊的成長(後編)
聖公会神学院(東京都世田谷区)は日本聖公会の神学校。これまでに600人以上の卒業・修了生が諸教会の働きに遣わされてきた。校長の佐々木道人さんと、専任教員の中村邦介さん、事務長の橋詰弘道さんに、同神学院の具体的な働きについて語っていただいた。
【インタビュー】聖公会神学院校長・佐々木道人さん 実習や共同生活の中で育まれる霊的成長(前編)
聖公会神学院(東京都世田谷区)は日本聖公会の神学校。これまでに600人以上の卒業・修了生が諸教会の働きに遣わされてきた。校長の佐々木道人さんと、専任教員の中村邦介さん、事務長の橋詰弘道さんに、同神学院の具体的な働きについて語っていただいた。
日本基督教団奥羽教区 18年ぶりの新議長に村岡博史氏
日本基督教団奥羽教区(青森、岩手、秋田)の第74回教区総会が5月21〜22日、奥羽キリスト教センター(盛岡市)で開かれ、新議長に村岡博史氏(弘前教会牧師)、副議長に飯田敏勝氏(大曲教会牧師)、書記には松浦裕介氏(下ノ橋教会牧師)が選ばれた。
地震のあった新潟県村上市へ支援のため急行 神戸国際キリスト教会牧師 岩村義雄
/ 岩村義雄, 社会
私たち神戸国際支縁機構第97次東北ボランティア一行が宮城県石巻市渡波から帰途に就こうとする18日午後10時22分時、緊急速報が入り、避難所に支援物資を届けようと決断しました。新潟県村上市府屋の山北総合体育館に19日未明に着きました。

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神学校特集

投稿日:2017年4月4日 更新日:

今週のみことば「一致」

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。

つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。

体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。

足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。

そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。

すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。

だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。

それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。

見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

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