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「ルワンダ虐殺を憶える受難礼拝」大井バプテスト教会で
1994年4月6日に「ルワンダ虐殺」が起こってから25年。「ルワンダ虐殺を憶(おぼ)える受難礼拝」(ルワンダ有志の会、大井バプテスト教会共催)が14日、日本バプテスト連盟・大井バプテスト教会(東京都品川区)で行われ、87人が出席した。
今日4月20日は「復活の聖なる徹夜祭」です。カトリック教会などでは、1年で最大の祭儀を持つことになります。 ユダヤでは、日没が1日の始まり。「安息日」も、金曜日の日没から始まります。そして、土曜日の日 ...

今週のみことば「主の苦難をしのぶ」
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。 わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。 それを脱いでも、わたしたち ...

日本初シェアハウス型難民シェルター「ジェラハウス」 トキワ荘のようにスーパースターを
日本福音ルーテル社団(JELA)は5日、日本初の民間による無償のシェアハウス型難民シェルター「ジェラハウス」(東京都板橋区)の内覧会を開き、完成祝福式を行った。運営・管理をするNPO法人WELgee(ウェルジー)は、メンバー全員が20代。
カトリック聖職者の性的虐待、日本でも調査へ 高見大司教が被害者に謝罪
日本に788あるカトリック教会の課題を協議する日本カトリック司教協議会会長の高見三明(たかみ・みつあき)・長崎大司教(73)が7日、東京・渋谷で開かれた性虐待をテーマにした集会に参加し、国内の聖職者による性的虐待の調査に乗り出すと表明した。
仏ノートルダム大聖堂で大規模火災 尖塔が崩壊
イースター(復活の主日)を来週日曜日に控える中、フランスのパリ中心部にあるカトリックのパリ大司教座聖堂であるノートルダム大聖堂で15日午後7時ごろ(日本時間16日午前2時ごろ)、大規模な火災が発生し、屋根中央の尖塔(せんとう)が焼け崩れた。
増えている教派、減っている教派
最新の文化庁編『宗教年鑑』(平成30〔2018〕年版)と1995年版を比較してみると、この23年の間にどのような変化があるのだろうか。目立って減少しているのは日本ホーリネス教団などのきよめ派で、日本キリスト教会など長老改革系は伸びている。
【CHRISTIANITY TODAY】ルワンダ虐殺から25年、赦しの火種を燃え上がらせた女性(後編)
100日間に80万人以上が殺害された「ルワンダ虐殺」が1994年4月6日に発生して25年になる。デニス・ウイマナさんは、虐殺のサバイバー(生き延びた人)に物質・精神の両面でのサポートを提供することを使命とし、フツとツチの和解に尽くしてきた。
【CHRISTIANITY TODAY】ルワンダ虐殺から25年、赦しの火種を燃え上がらせた女性(前編)
100日間に80万人以上が殺害された「ルワンダ虐殺」が1994年4月6日に発生して25年になる。デニス・ウイマナさんは、虐殺のサバイバー(生き延びた人)に物質・精神の両面でのサポートを提供することを使命とし、フツとツチの和解に尽くしてきた。
洗礼者ヨハネの首を願ったサロメから、聖母マリアまで「ギュスターヴ・モロー展──サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館で
洗礼者ヨハネの首の幻影がサロメの前に現れる「出現」や、聖母マリアが主題となった晩年の作品「神秘の花」などが見られる「ギュスターヴ・モロー展──サロメと宿命の女たち」がパナソニック汐留美術館(東京都港区)で開催されている。6月23日まで。

各カテゴリーでいちばん読まれている記事の一覧

投稿日:2017年4月4日 更新日:

今週のみことば「主の苦難をしのぶ」

わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。

それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。

この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。

わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。

それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。

目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。

だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

主に対する畏れを知っているわたしたちは、人々の説得に努めます。わたしたちは、神にはありのままに知られています。わたしは、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います。

わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。

わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。

なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。

その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

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