【発達障害クリスチャンのつぶやき】 会ってみないとわからないこと 

 最近、ある学生時代の仲間と久しぶりに電話しました。彼女は大学の先生になっていました。彼女は「最近、会議がリモートになってしまって、以前、会議の前や後にあった『雑談の時間』がなくなってしまってさびしい」という趣旨のことを話していました。そうでしょうねえ。「実際に会う」というのは、そういう「雑談」も含んでいるわけです。

 私は大学院の時代、少しだけ数学の研究をかじっていましたが、セミナーと呼ばれる発表の前には必ずコーヒータイムがあり、そういうお茶の時間がとても大切にされていました。多くの研究は、雑談から生まれることをみんな経験的に知っているからです。「この間、だれそれさんが、これこれを証明したみたいですよ」という情報が最初に入ってくるのが、そういう雑談タイムであったり、あるいは、「雑談からアイデアが生まれる」とか「雑談からいろいろな方向性が見えてくる」ことが多くあるのです。

私が学生時代のベテランの先生が、「ホワイトボードからは本物の数学は生まれない気がする(笑)」と、なかば冗談、なかば本気でおっしゃっていたことがあります。その先生の言いたかったことは、「黒板からしか本物の数学は生まれないのではないか」ということだったのですが、いまや黒板でもホワイトボードでもなく、パワーポイントという時代なんでしょうかねえ。「その先生がよほどアナログなのだ」と言えばそうですが、ただ「アナログなのだ」では済まない何かがあるような気がしています。

リモートといえば、いろいろなものがオンライン化しており、教会の礼拝やミサでさえ、オンライン化しております。ツイッターをやっていたころの話です。私のツイートは、加齢臭がするのではないかという感覚がすることがありました。私は今年46歳になり、家族の話では、かなり加齢臭がするようです。もちろん、ツイッターで加齢臭が伝わるわけはありません。メールでも電話でも、加齢臭は伝わりません。これは、単ににおいの問題ではなく、私も46歳ですから、無意識のうちに言葉遣いが「おじさん」になっており、その意味で私のツイートは「加齢臭がする」という意味でもありました。

しかし、それは象徴的な話に過ぎないわけでして、やはり「会ってみないとわからない」ことは大きいわけです。私は「ツイキャス」もやっていたことがあります。ツイッター上のラジオ放送のようなものですが、あれも、あまりに口臭がひどいときは、歯をみがいてからやっていました。ラジオ放送で口臭が伝わるわけはないのですが、気になってしまうのです。

演奏会というものも、じっさいにチケットを買い、当日はきちんと着替えて、出かけて行って聴いたわけです。これが、わずか100年ちょっと前に開発された「録音」というものですと、寝っ転がってでも聴けますし、止めたければ止めることもできます。いまの「オンライン礼拝」というものも、それに似たようなもので、着替えもせず、寝っ転がったままで、パソコンのスイッチを入れて見ることができます。しかも録画が残されているため、時間通りに聴く必要もなく、実際、私はさっきまでずっと眠っており、まだ礼拝を「見て」おりません。タイムシフトなのです。

そもそもみなさん、私に会ったことのないほとんどのかたは、私の顔すらわからないでしょう。私の体型も、私がいまどういう服装でこれを書いているのかもわからないでしょう(寝巻き姿で書いています)。いや「作家はフィクションを書くものです」。これは「事実に基づいたフィクション」かもしれないので、私が46歳であることも、私が発達障害を持っていることも、私が1年以上、休職していることも、いま寝巻きを着ていることも、すべてフィクションかもしれないのです。

私は小笠原の父島で、間近にくじらを見たことがあります。くじらは、ものすごく大きかったです。もう信じられないくらい、言葉で表せないくらい、実物のくじらは大きかった! 「くじらが大きい」というのは、知識としてはみんなが知っていることですけれども、まさに「百聞は一見にしかず」ですね。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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