【発達障害クリスチャンのつぶやき】 あらゆる障害は多数派か少数派かの違いに過ぎない

Image by Engin Akyurt from Pixabay

あらゆる障害は、多数派か少数派かの違いに過ぎません。多数派を健常者、少数派を障害者と言っているだけです。

たとえば、私は絶対音感を持っていますが、仮に絶対音感のある人が大多数で、ある人だけ絶対音感がない状況を考えてみてください。そうすると、世の中は絶対音感を持っているのが当たり前でまわっているはずで、「このチャイムは、ミの音のときは佐川急便で、ラの音のときはヤマト運輸ですよ」という会話が日常的になり、その人(持っていない人)は、日常的に「困る」ことになります。つまりその人(絶対音感のない人)は「障害者」です。

世の中のほとんどの人間(いや全員ですが)は、空を飛べません。それ(空を飛べないこと)を「障害」と言わないのは、ほとんどの人(いや全員ですが)が空を飛べないからです。もし、空を飛べる人が大多数であれば、おそらく世の中に階段やエレベーターはないでしょう。みんな、マンションの5階でも10階でも、空を飛んで行きます。こういう世の中で、もし空を飛べない人がいたら、その人はたいへんな「障害者」でしょう。私たちはみな空が飛べませんが、それを障害と言わないのは、みんな空を飛べないからだけなのです。

私はよく「常識がない」と言われます。それは発達障害だからだというわけです。しかし、実際は、人と人の意見がぶつかるとき、多数派を「常識的」と呼び、少数派を「非常識」と呼んでいるに過ぎません。現に、非常識なほうが多数派だったら、もはやそれを「非常識」とは呼ばないでしょう。

私はよく「空気が読めない」とも言われます。これも、発達障害に典型的な症状です。しかし、正確に言うならば、私は「多くの人と違う空気を読んでいる」ということなのです。

ある人が書いている本で読みました。ろう学校に取材に行ったそうです。ろう学校の生徒さんたちは、手話で楽しく雑談をしており、まるで自分たちのほうが障害者みたいだったと書いてありました。これも、耳の聞こえない(手話のできる)人が多数派で、手話のできない人(筆者一行)が少数派だったら、手話のできない少数派の人のほうが障害者になるという例です。

私は、生まれつき脳の発達にかたよりがあって、できることとできないことの差が激しいと言われます。まさに発達障害ですが、それは世の中の多数派の人を基準にしているから私が「かたよっている」と言われるのであって、もしも私が基準であれば、何もかたよっていません。運転ができない、料理ができない、段ボールしばりができない、勉強はできる、そういう私が基準であれば、私は何もかたよっていません。ただ、世の中の多数派を標準として見る限り、私は「脳の発達にかたよりがあり」「できることとできないことの差が激しい」と言われるだけです。

知的障害も同様です。「2+2」ができないと障害と言われますが、これは、多数派は「2+2」を理解していて、それで世の中がまわっているので、「2+2」がわからない人は「障害者」と言われるのです。「cos60°」がわからなくても障害者と言われないのは、多くの人は「cos60°」は忘れている(もしくは最初から理解していない)からです。「多くの人が『2+2』を理解していなかったら、社会はまわらないだろう」と言うなかれ。鳥の世界は成立しています。また、逆に、われわれよりも知能の高い生物から見たら、環境問題ひとつ解決できないわれわれ人類は、とても世界を任せられない「障害者」であるとも言えます。

車いすの人は、「障害者」と言われますが、これも、車いすに乗っている人は少数派で、社会全体が車いすでない(歩ける)人を前提にまわっているため、車いすの人は何かと不便(障害)をするので、車いすの人は「障害者」と言われるだけです。みんなが車いすに乗っていれば、車いすは障害でなくなるでしょう。現に、近視でメガネをかけている人は、普通、「障害者」と言いません。これは、メガネをかけている人がたくさんいるためです。

私は色覚障害(色弱)でもあります。赤と緑の区別がつかず、ときどき非常に不便をします。これも、私のような色の見え方をしている人が少数派だから「障害」と言われるだけで、もしも私のように見えている人が多数派ならば、それを前提に社会はまわっているはずで、私は色覚「障害」ではなくなります。

私は睡眠障害でもありますが、これも、世の中の多数派は睡眠薬を飲まなくても眠りにつくことができ、7時間くらいの睡眠で足りて仕事ができる、それにあわせて私が寝たり起きたりしなければならないので「障害」と言われるわけです。世の中の多数派が、私のような睡眠サイクルを持っていれば、世の中はこれを基準にまわるはずなので、私の障害は障害でなくなります。

このことは、あらゆる障害について言えます。多数派を標準として世の中がまわっているため、少数派が生きるのに苦労をし、「障害」と言われるだけなのです。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

【クリスチャンビギナーズ】第1回 聖書について教えて!

 






メルマガ登録

最新記事と各種お知らせをお届けします

プライバシーポリシーはこちらです

 

オンライン献金.com