2020年1月10日(内藤淳一郎『一日の発見』より)

 

「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫(かんいん)を犯したのである」(マタイ5:28)

主イエスは「姦淫してはならない」という律法を取り上げて、今日の聖句を語った。「情欲を抱いて」とは、「ほしがる」「むさぼる」とも訳される言葉である。つまり、みだらな想像をするというより、他人の妻を自分のものにしようとすることである。たとえ実行しなくても、そのように意思する者は、「姦淫」という罪を犯している。

主イエスの言葉が厳しいのは、姦淫が妻や夫に対する裏切りであると同時に、神の創造の秩序を破壊するからである。人間を人格として見るのではなく、自分の満足を充足させる対象物として見る性関係の結果は、人を傷つけ、自分も決して満たされることはない。今日(こんにち)の関係性の崩壊は、このことと決して無関係ではない。

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(19:6)と主イエスは言う。私たちは自己中心的な人間であり、相手に要求する者であり、夫婦の関係も危機に直面する。私たちが危機を乗り越えるのは、「神が結び合わせたもの」という神の秘義を信じ、「人は離してはならない」という主イエスの言葉を受け止める時である。

私たちは神の赦(ゆる)しを受けて、互いに赦し合う者でありたい。また、私たちの破れを繕(つくろ)われる神を共に仰ぐ者でありたい。このことは、結婚していても、結婚していなくても、私たちが人との出会いを喜び、共に生きるための基本である。

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