2020年1月11日(内藤淳一郎『一日の発見』より)

 

「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:4)

この世には、復讐の連鎖が止まらず、争いがますますエスカレートしてゆく現実がある。この現実を断ち切るには、主イエスが語られた今日の聖句のように、「敵を愛する」以外にはないであろう。

その意昧で、主イエスの教えは素晴らしい。しかし、これを実行するのは不可能に近いので、人々は主の言葉に失望するか、理想の教えとして棚上げしてしまう。

主イエスは理想を語ったのだろうか。否(いな)。「敵を愛し、敵のために祈れ」と教えると同時に、その戒めを実行できる道も用意しておられる。それは、主イエスによって開かれた十字架の福音である。

主は十字架の上で、自分を殺す者たちのために「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください」と祈り(ルカ23:34)、「敵を愛せよ」という戒めを身をもって実行された。人を赦すことができず、神の敵でさえあった私たちのために、神の御子イエスは苦しみを受けながら、その赦しを父なる神に執り成したのである。

私たちは自分の罪深さを知って、主イエスの十字架を仰ぐ時、罪の赦しの恵みにあずかり、神との交わりに入れられる。そして、神との交わりを持つことによって、聖霊は私たちのうちに神の愛を注ぎ、私たちをして「主よ、御心をなさせてください。敵を愛し、赦すことができるようにしてください」と祈る者とする。

主イエスは私たちに愛の教訓を説いているのではない。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)と言われるのである。憎しみの連鎖を断ち切る道は、主イエスの十字架を仰ぎ、十字架に現れた神の愛を知ることから始まる。

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