明治学院「問題提起」型の斬新すぎる副読本 「読みたくなる」画期的テキスト「ヤバイブル」? 2020年7月11日

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 新年度が始まり早3カ月。思いがけないコロナ禍への対応に社会が翻弄され、全国各地のキリスト教学校でも感染予防をしながら授業をどう進めるべきか、模索が続く。そんな中、SNSなどでじわじわと注目を集めている斬新すぎる教材がある。『ヤバいぜ!聖書(バイブル)』(新教出版社)。タイトルからしてかなり「ヤバ」そうだ。

「明治学院テキスト作成委員会」として執筆、編集にあたったのは、同学院学院長の小暮修也さんを筆頭に、日々、「宣教の最前線」で若いノンクリスチャンの生徒・学生たちと接してきた5人の教員たち。同書の隅々からは、学校現場の模索と、そこで奮闘してきた教員ならではの柔軟な発想、視点が読み取れる。5人が勝手に考えた略称は「ヤバイブル」。「寒いおやじギャグ」とみなされかねないが、そうした作り手の遊び心も随所にあふれている。

知識偏重が福音の伝達を妨げてきた

明治学院中学・高校・大学の一貫教育を築く柱として掲げたビジョン「キリスト教に基づく人格教育の発展」のために、授業で使える共通のテキストを作るという理事会の意向を受けて始まったこのプロジェクト。当初は、そもそも中学から大学まで一律に使うことなど困難ではないかとの懸念もあったが、単に「知識を教える」だけでなく、自ら取り組める「アクティブラーニング」の課題を段階ごとに設定することで、対象によって使い分けができるよう工夫した。

植木献さん(明治学院大学教養教育センター准教授)は、「あくまで問題提起のための副読本」という編集方針を決めるにあたり、「知識の伝達を主眼とすることによって、福音の伝達を妨げてきたのではないか」との反省があったと振り返る。本来「貧者の宗教」であったはずのキリスト教が、いつの間にか「インテリの専有物」になってしまった。そうしたイメージや思い込みを壊すのも、本テキストの意義だという。「明治以来『良家の子女のチャームスクール』として利用されてきたキリスト教学校のあり方を根本から問い直すものに位置付けたい」。同じ理由から、学校作成の教科書にありがちな「創立者の功績」や「学院の歴史」にはあえてほとんど触れていない。

2016年から度重なる打ち合わせを経て、旧約・新約聖書からメッセージ性のある40箇所をピックアップし、それぞれのテーマに沿った解説と資料を豊富な図版と共に収録するという方向性が固まった。特にこだわったのは、「聖書は面白い」と知ってもらうための言葉選び。若い読者の心に迫る表現について繰り返し議論し、「地の塩、世の光」は「しょっぱい、まぶしい、でもうれしい」に、「苦難をどう受け止めるか」は「『苦しむ奴は自業自得』なんてまっぴらごめん」に〝翻訳〟した。他にも「マジ神いる?」「やさしい顔のモンスターが現れた→たたかう にげる しはいされる」など、ついつい読みたくなる見出しが並ぶ。

「アクティブラーニング」の導入にあたっては、「まず自分で考え、グループで話し合い、全体に発表し、多様な意見があることを知って、もう一度自分で考える」ことに主眼を置いた。テーマに関連する映画や漫画など、一見キリスト教とは無関係と思えるような情報も、学びを深めるきっかけとして複数掲載している。漫画雑誌の欄外にある書き込みのような「聖書はみだしコラム」は、「おっさんたちが本気でバカなことを書いている」風合い。

「当初から、立体的な本を作りたいという思いがあった」と語る北川善也さん(明治学院学院牧師)は、招かれた教会でも営業活動を忘れない。すでに昨年春には完成していたが、学内限定で少部数のみの印刷だったため、一般書店に流通し人の目に触れることはなかった。今回、新年度を機に改めて増刷され、日の目を見ることとなった。

生徒からの反応も上々だ。実際にテキストを使用した高校1年生(現2年生)のアンケートでは、「現代の問題と関連づけることで聖書を身近なものに感じやすい」「『宗教』っていうかたくるしい感じがなくていい!」などの声も。佐原光児さん(明治学院高等学校教諭・当時)が教えた生徒の保護者からは、「教会学校で使いたい」との申し出もあった。また、大学では思いのほかノンクリスチャンの教職員から、「よくぞ書いてくれた」「こういう本が読みたかった」と好評だという。

道徳の教科化も念頭に

同書の編集作業が佳境を迎えたのは、ちょうど「道徳」の教科化が導入されようとしていたタイミングと重なる。自身が担当する聖書科が「道徳」にどう対応し、対峙すべきなのかを意識しながら執筆したという今村栄児さん(明治学院中学・東村山高等学校教諭)は、「今の子どもたちが、日常的にどんな『道徳』教材に触れているのかについても知ってほしい」と話す。

無論、明治学院を愛する同窓生を含め「ヤバい」ノリに異論がないわけではない。しかし、「読み物として面白いものが、なぜ『不謹慎』とか『福音的ではない』と言えるのか。福音はよろこびのはず」と植木さん。キリスト教学校の教員は、「なぜもっと教会に動員しないのか」と批判されることもあるが、逆に「本当に若者が行っていい場所ですか?」と問いかける。教会自体が若者の居場所として変わる覚悟がないなら、「若い人に来てほしい」などと気楽に言ってほしくないとの思いがある。福音の担い手である教会がこれまでのあり方を問い直すことは、決して若者に「媚びる」ことではない。

ツイッターには、「ひたすら地元の本屋に〝『ヤバいぜ!聖書』と『新約聖書』と『旧約聖書』ありませんか!!!!!〟と問い合わせるやばい人になってしまってる」という学生と思しきつぶやきも見られた。対面での授業がままならない中、礼拝も「オンライン」でしか体験できていない新入生も少なくない。こうした状況だからこそ、自宅でも気軽に聖書を掘り下げられる教材が、より広く活用されることを願わずにはいられない。(本紙・松谷信司)

 






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