【映画評】 『誰がハマーショルドを殺したか』『プリズン・エスケープ』『オフィシャル・シークレット』『ジョーンの秘密』『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』『ソニア ナチスの女スパイ』 敵対と猜疑のゆくえ 再監獄化する世界(2) 2020年8月28日

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“あなたが持ち合わせた力に余る強さなど、人生は要求しない。
 あなたにたて得るただひとつの手柄は、そこから逃げないこと。”

 スウェーデン出身の第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド(1905~61年)は、敬虔なクリスチャンとして知られる。聖書に依拠する表現の多い主著『道しるべ』(みすず書房)は、激動の生涯に反し驚くほど内省的で静謐な記述に満ち、日本でも版を重ね長らく読み継がれてきた。その情熱的で高邁な仕事ぶりを買われ、第二次大戦後の混乱続く情勢下国連のトップに選出されるが、清廉潔白さゆえに覇権国の思惑と度々対立し、植民地支配の終焉とともに各地で乱立した独裁者たちからは一様に疎まれた。そして1961年コンゴ動乱の停戦調停への途上、現ザンビア国境域にて不審な墜落事故死を遂げる。

 『誰がハマーショルドを殺したか』は、この墜落死をめぐり当初からあった暗殺説を多方面から検証する。CIAや現地旧政権の関わる文書を暴き、ベルギー人の元傭兵パイロットから「命令により国連チャーター機を撃墜した」との証言を引き出すなど衝撃の展開をみせる本作は、しかし暗殺説など遥かに超えた、黒人差別や南北問題を背景に置く途方もない陰謀へと行き当たる。その途方もなさに観客の多くは本編全体の事実性さえ疑いだすだろう。しかし眼前する現実の虚構性を問うことこそ本作の主題であることが、終幕に至って納得される。

 芸術表現は個別の作り手や受け手の感性を超え、ときに大衆の無意識を鮮やかに反映し、ときに社会変容の徴候を鋭く炙りだす。数え切れないほど多くの人員が関わる集団製作物である商業娯楽映画は、特にその傾向が強いと言える。世界史的疫病禍に襲われ、現行の資本主義経済を支える諸々の慣例・約束事が一旦宙吊りにされキャンセルされた2020年は、今後到来する大規模で多岐に渡る社会変化の起点として記憶されるだろうが、今年後半に日本公開となる映画の中には、その徴候を予言的に捉えた作品が実際数多い。

 本稿で扱う6作品はこの8月・9月に日本公開となる映画だが、いずれも見応えある展開のうちにそうした徴候を内包し、かつこれら全てが実在の人物を主人公に据える点は注目に値する。

 例えば『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』は、アパルトヘイト下の南アフリカで実際に起きた驚愕の脱獄劇を、『ハリー・ポッター』シリーズ主人公役から大人へと成長を遂げたダニエル・ラドクリフ主演で描く。彼が演じるのは黒人側に立ち収監された白人活動家ティミ・ジェンキン(1948年~)であり、個人の正義と社会的属性の狭間で揺れる硬派の社会背景と、脱獄へ至る手に汗握る展開との取り合わせが終幕まで飽きさせない。

 ベルリンの壁崩壊の1989年に生まれたダニエル・ラドクリフが辿った俳優としての道行きは、それ自体が米国と世界の自己像が複雑化多様化する冷戦崩壊後以降の流れを反映するようで興味深い。殊にラドクリフが《オナラを排出することで推進力を生み洋上を滑走する死体》を演じた怪作『スイス・アーミー・マン』と、米国内のネオナチグループに潜入しテロ計画阻止を図るFBI捜査官を演じた『アンダーカバー』がともに公開された2016年以降のラドクリフは、個性派俳優として完全にひと皮向けた感がある。

 その彼が日本でいまだ全面的に『ハリー・ポッター』のイメージをまとい続けるのは、こうした直近の出演作群が一部の好事家にしか知られず、そもそも日本公開へ至らない作品も多いからだ。しかし例えば、実在のイスラエル人冒険家の手記に基づいて南米ジャングルでの遭難と生存を再現する2018年作『ジャングル ギンズバーグ19日間の軌跡』などは、追い込まれた孤独な環境下で必死の自助努力により活路を切り開く点で『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』と共通する。こうした道行きの全体が「ダニエル・ラドクリフ」というレッテルの内破を志す、一個の固有名以前を生きる一人の人間の格闘を表出する。そしてこの格闘は、お仕着せの制度間に生じる不整合から政治の失調まで、あらゆる社会の失調が自己責任へと帰されがちな現代人のもがきに重なる。

 スパイである私は何のため働くのか。政府か、国民か、家族か。

 南アフリカ出身の監督ギャビン・フッドが撮る『オフィシャル・シークレット』は、大量破壊兵器という嘘に基づくイラク戦争開戦の気運の下、己が責務に逡巡し報道機関へのリークを犯す英国諜報部員キャサリン・ガンが主人公となる。緊迫した展開の主舞台となる諜報機関GCHQ(英政府通信本部)において、嘘すなわち捏造された「公然の秘密」に基づいて国連非常任理事国への投票工作を要求する米国政府の傲慢が露わになる描写は迫真的で、主演キーラ・ナイトレイの繊細な声音と強靭な瞳に惹き込まれる。また主人公を守る立場から政府の虚構と対峙する弁護士役レイフ・ファインズが見せる静かな迫力は圧巻で、友人でもあった検事との司法が果たすべき真の使命を巡る議論はたいへんに今日的だ。

Photo by: Nick Wall © Official Secrets Holdings, LLC

 娯楽サスペンス作品としての緊張を全く切らすことない『オフィシャル・シークレット』は、その一方でジャーナリストや議員、検察官など関係人物個別の台詞細部までよく練り込まれた秀作となっている。その本編中に、主人公キャサリンがヒロシマと口走る場面がある。映画で描かれることはないが、史実のキャサリン・ガンは英国生まれ台湾育ちで、日本への留学時広島に滞在し原爆の恐怖を知ったという。本作は情報量があまりに濃密なため、多くの観客が見過ごしてしまいそうな細部だが、次に扱う映画にも関わるためここに指摘する。

 さて同じ英国で、イラク戦争に先立つ2000年、齢80代のある老女がスパイ容疑でMI5(英国保安局)に検挙された。『ジョーンの秘密』はこの老女ジョーン・スタンリー――史実ではメリタ・ノーウッド(1912~2005年)――が半世紀以上前に関与した、旧ソ連の諜報機関KGBへの核開発を巡る機密情報漏洩の過程を再現する。練熟の名優ジュディ・デンチによる、熱愛ありハニートラップありの波乱万丈人生を振り返る表情演技の多彩さ妖艶さに痺れ、若き日演じるソフィー・クックソンの瑞々しさに見惚れる一作で、とりわけ広島の原爆被害を巡る報道を観て若きジョーンが決意を固める場面など、日本人の観客には一層感慨深く受け取られるだろう。

 諜報活動はプロパガンダと共に、情報をめぐる国家戦略の根幹として今日も盛んに為されるが、興味深いことに本稿で扱う作品群においては、描かれる中心人物がいずれの映画においても「国家」と「個人」の狭間で揺れ、最終的に個人的信念を曲げない道を選択する。その選択の契機として広島の原爆〝報道〟が『ジョーンの秘密』に登場し、『オフィシャル・シークレット』の主人公がその語を口走る。

 多くの社会調査が示すように、英米圏において広島と長崎の原爆投下は、「より大きな人命被害を回避するためのやむを得ない選択だった」とする思潮が今日も主流を占める。にもかかわらず、こうした個人が国家諜報機関の中枢で己の信念に忠実な行動を採った結果を、当のプロパガンダにおける最も有効な手段であり続ける映画業界がポジティブに評価し、日本を含む世界の映画市場へ広く受け入れられることが示唆するものは決して小さくない。

 『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』では、若き英国人記者が世界恐慌下も堅調なソ連統治の謎を探り、ホロドモール(ウクライナ大飢饉)の惨状を目撃する。『ジョーンの秘密』の主人公ジョーン・スタンリーよりも7歳年上のガレス・ジョーンズ(1905~35年)によるモスクワの都からウクライナの荒野への潜入描写は凄絶で、『動物農場』執筆中のジョージ・オーウェルを語り手とする奇手や、スターリンへの迎合によりピューリッツァー賞獲得の栄誉を得る西側記者(名優ピーター・サースガードが演じる)なども印象的な一篇だ。

 なお『赤い闇』主人公でウェールズ出身のガレス・ジョーンズは、ヒトラー対面取材後に本作で描かれるホロドモール告発を経てソ連入国禁止となり極東へシフト。日本、中国、満州へ取材した。日本占領下の蒙古国境域にて30歳で早逝。ソ連秘密警察による暗殺とされている。

 中国、行政命令で『動物農場』『1984』やキリスト教・仏教書を処分(ロイター)
 https://jp.reuters.com/article/china-books-idJPKCN24D02D

 バンコク街頭でオーウェル『1984』を読む反政府デモ(デイリーメール)
 https://is.gd/zENLKb

 *上記リンク先英国紙デイリー・メールは、同時期「王室不敬報道」の廉によりタイ国内では閲覧不能となる。また報道写真の陸橋は筆者バンコク宅至近にあり広告やTVドラマなどでもシンボル的に多用される場所。

 1990年代のユーゴ紛争以降、広告代理店が各種報道機関や政治家との協働により、国連決議を巻き込み世界の戦争を印象操作する実情は暴露されてすでに久しい。その一方で敗戦75年を迎えた日本では、GHQの統制・検閲を経た原爆報道や大戦に関する歴史教育が未だ方向性を変えず継続される状況もある。オーウェルの小説『1984』は、監視社会化への危機感を戯画的に描く古典的名作としてつとに知られるが、近年タイ軍事政権に異を唱える学生グループや、香港で中国政府の統制強化に反撥する若者らがこの『1984』を抵抗のシンボルとしてきた。直近の2020年7月には、その中国本土で『1984』やキリスト教・仏教関連書が処分・発禁となった旨も報じられた。それらが処分の対象とされるのは、言うまでもなくそれらに非があるからではなく、それらが真を言い当てているからだ。

 さらに付言すれば、『赤い闇』が描くようにオーウェルが『動物農場』を書いたのはスターリンの圧政を受けてのことだが、その刊行に先立って1943年から構想され1948年に最終稿が脱稿された『1984年』における核戦争の設定に、広島と長崎への原爆投下が決定的な影響を与えその訴求力を一層高めたことが、タイや香港の若者が本書を手にとる今日の光景へ連なっていることは大変感慨深い。

 そして筆者の目には、こうして抑圧者に都合の悪いこれらの鋭利さを称える文学書や宗教書が果たしてきた役割の少なくともある一面を、今日では映像作品が先導的に担いつつあるようにも感じられる。昨年まで誰一人として予想していなかった全世界的な映画館閉鎖の波に洗われようとも、〝炭鉱のカナリア〟は健在なのだ。

 『ソニア ナチスの女スパイ』は、大戦中ナチス高官とスウェーデン諜報部の両方から登用され二重スパイとして活動したノルウェー人女優ソニア・ヴィーゲットを描く。肉親を人質にとられたことがスパイ転身のきっかけとなった彼女が、ナチス占領下ノルウェーと中立国スウェーデンとの情報戦の下おのが生き道を模索する姿は、スパイという属性とは無縁にも氾濫する情報の渦中へ漕ぎ出ることを要請される今日に暮らす私たちの似姿とも映る。戦後も長く女優として活躍した彼女の知られざる軌跡、本作で再現される情報の脅威に対峙する身体感覚が、今映像化され映画市場に乗ること、そこに監視社会化の進行する今日現在、形を変え再襲来しつつあるリアルをみる。

© 2019, The Spy AS BR•F, Film i Väst, Scope Pictures, Nordisk Film Danmark – All rights reserved

 以上、ここまで触れてきた新作映画6作は、すべて史実に基づいた映画であり、かつこの2020年8月9月に日本公開となる。つづくこの10月には、太平洋戦争迫る神戸を主舞台に、満州の謀略を背景とする黒沢清監督新作で蒼井優と高橋一生が主演する『スパイの妻』公開も控えている。『スパイの妻』への内容言及は別の機会とするが、こうした新作映画の表象に顕著な流れを、単なる偶然とみるのは最早至難だ。

【映画評】 『死霊魂』 憑依する肉声、再監獄化する世界。 2020年8月12日

 本稿は、同じくこの8月に日本公開となったドキュメンタリー映画『死霊魂』を軸に、監視社会への統制強まる現代中国を論じた拙記事「『死霊魂』 憑依する肉声 再監獄化する世界(1)」の続編として書いた。

 言葉は差異の大系に過ぎず、言葉にすることでこぼれ落ちるものへ宿る真を前提しない発語は虚しく響く。歴史は専ら言葉により記述される。従って歴史をこの手で再構築する試みは、他者より施された歴史が描く世界像をこの血肉とする営みとなり、ひいては明暗の両面で自己像の更新をもたらしゆく。個人意識の発生をもたらした近代の果てを生きる私たちに現代が要請するものは、なにも自助努力により制度間の不備や政治の失調を弥縫策し続ける営為のみではない。それは時々情報の統御を迫り、刻々内面の統制を要求する。奴隷化された恭順は、必ずしも幸福な生をもたらさない。ゆえに己の頭で考える。陰りを厭わず、真を恐れず己の言葉を構築する試みこそ、この魂の牢獄からの脱出を図る緒(いとぐち)となる。映画、文学、音楽をはじめあらゆる人間の表現が、今この緒を手繰りはじめている。(ライター 藤本徹)

“彼らは意識を持つようにならない限り
 決して反逆しないであろうし
 また、反逆した後でなければ
 意識は持てないのである。”(オーウェル『1984年』)

試写メモ86 『誰がハマーショルドを殺したか』 ”Cold Case Hammarskjöld”
http://whokilled-h.com/
全国順次公開中

試写メモ87 『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』 ”Escape from Pretoria”
http://www.at-e.co.jp/film/escape/
9月18日(金)より、シネマート新宿、ユナイテッド・シネマ豊洲ほか全国順次ロードショー

試写メモ88 『オフィシャル・シークレット』 ”Official Secrets”
http://officialsecret-movie.com/
8月28日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

試写メモ89 『ジョーンの秘密』 ”Red Joan”
https://www.red-joan.jp/ 
全国順次公開中

試写メモ90 『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 ”Mr. Jones”
http://www.akaiyami.com/
全国順次公開中

試写メモ91 『ソニア ナチスの女スパイ』 ”Spionen” “The Spy”
http://sonja-movie.com/
9月11日(金)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

引用文献:
ダグ・ハマーショルド 『道しるべ』 鵜飼信成 訳 みすず書房
ジョージ・オーウェル 『1984年』 新庄哲夫 訳 早川書房

関連過去記事:

【映画】 〝沈黙と否認の文化〟に一石 『プリズン・サークル』坂上香監督インタビュー 2020年1月30日

【映画】 あるイラン人監督の祈りと覚悟 『少女は夜明けに夢をみる』 メヘルダード・オスコウイ監督インタビュー 2019年12月16日

【映画評】 『パピヨン』『COLD WAR あの歌、2つの心』『ホワイト・クロウ』『The Crossing ザ・クロッシング』 ここではない、どこかへ Ministry2019年6月・第41号

© 2019 ESCAPE FP HOLDINGS PTY LTD, ESCAPE FROM PRETORIA LIMITED AND MEP CAPITAL, LP 

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