【東アジアのリアル】 李登輝を送る台湾社会とキリスト教 藤野陽平 2021年1月21日

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本紙2020年10月11日付でも伝えられたように、咋年7月30日に敬虔なクリスチャンとして知られる李登輝元総統が97歳で死去し、台湾社会はキリスト教式で彼を送り出した。今一度、キリスト教に焦点を合わせて振り返っておきたい。

李が没する7月30日の前日、台北栄民総医院にて30分ほどの臨終礼拝が行われ、夫人の曾文惠らが賛美歌を歌い、祈りを捧げた。執り行ったのは葉啟祥牧師で、李のキリスト教信仰を記した書籍『為主作見證(主のために尽くす)』の編集にあたるなど親しい関係にあった。

8月1~16日には献花会場が設けられ、多くの台湾人が李を悼み、当然その中には多くの長老教会関係者の姿が見られた。8月5日には原住民の牧師、長老らによって賛美歌が捧げられた。長老教会のアーブス・タキスヴィラインナン(Abus Takisvilainan)総会議長によれば、1994年にそれまでの「山胞」という差別的な呼称を、「原住民」という名称に改めてくれたことへの感謝の気持ちも込められているという。

告別礼拝が行われた真理大学の礼拝堂(2015年3月14日、撮影=藤野陽平)

火葬が行われた8月14日の午前10時、李の母教会である済南教会にて礼拝が行われ、孫の李安妮ら親族60人ほどと、総督府の秘書長李大維ら、済南教会の黄春生牧師、葉啟祥牧師ら長老教会の牧師団、済南教会の聖歌隊などが参列した。礼拝後、一行は総統府を1周し火葬場へと向かった。

9月16日には南部高雄市の鹽埕教会にて台湾基督長老教会高雄中会教社部の主催で「李前総統登輝先生追思礼拝」が実施され、李登輝に捧げられた「阿輝伯仔」(輝おじさん)という歌を全員で歌うなどし、李登輝の台湾の民主化における貢献の大きさに想いを寄せた。

9月19日、新北市の長老教会系の真理大学で告別礼拝が行われ、葉啟祥牧師が説教を行った。真理大学は1882年にカナダ人宣教師マカイが台湾で最初の西洋教育を行った牛津学堂にルーツを持つ。『教会公報』によれば、葉は李登輝が常々口にしていた「民の欲するところ常に我の心に」や「私は私ではない私」という言葉によって、ガラテヤの信徒への手紙20章2節を広く伝えたこと、聖書が示した最大の教えである「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」は李登輝のキリスト教信仰の根幹であったとした。礼拝後、最高の敬意を示す21発の礼砲で送り出し、真理大学に隣接する李の母校、長老教会系の淡江中学を1周し生前に暮らした自宅へと向かった。

李登輝の埋葬に参加した済南教会の聖歌隊(2020年10月7日、撮影・提供=龔謝育琳)

10月7日、新北市の五指山国軍示範公墓に李の遺骨が埋葬された。黃春生牧師が司式をし、葉啟祥牧師も参列した。黄牧師はトラピスト修道会のメメントモリ(死を覚えよ)の考え方を紹介、台湾語で「佇天裡的祖家」(天の故郷に住む)と述べ、李登輝は天国の家に帰り神と共にあるとのメッセージを送った。なお、故人になった中華民国総統の中で埋葬されたのは2代目の厳家淦以来の2人目で、蒋介石、蒋経国親子は故郷の中国浙江省に埋葬されることを望んでいたため、今なお桃園市内に臨時安置されている。

李登輝の帰天に先立ち、2019年には戦後台湾のキリスト教界における民主化運動の中心的存在であった高俊明もみ国へと旅立った。台湾のキリスト教と政治の世界では世代交代が進むが、彼らの精神は次の世代へと引き継がれていくであろう。

藤野陽平
ふじの・ようへい 
1978年東京生まれ。博士(社会学)。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員等を経て、現在、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。著書に『台湾における民衆キリスト教の人類学―社会的文脈と癒しの実践』(風響社)。専門は宗教人類学。

 






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