【宗教リテラシー向上委員会】 マッツァー(種なしパン)は「自由の味」? 山森みか

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私が住むイスラエルは春の訪れを告げるペサハ(過越)の祭日が終わり、時計も夏時間になり、すっかり初夏の気候である。昨年のペサハは厳しい外出禁止令に加えて、集まって会食できるのは同居家族のみとされ、前代未聞のさびしい祭日だった。だが今年はワクチン接種が進むにつれ、新型コロナウイルス感染状況が劇的に改善された結果、屋外50人屋内20人までの会食が保健省によって許可され、多くの家庭において、ハガダー(過越祭の式次第)の朗誦を伴うセデル(過越の夜の儀式的食事)の食卓を大人数が囲むことになった。

ペサハは古代イスラエルの民のエジプト脱出を記念する祭であり、出発に際して時間がないため食べたというマッツァー(種なしパン)をペサハの期間中食べ続ける。通常のパンは食べてはならず、ユダヤ教の清浄認定店では売っていない。今年多くの人に見られた動画では、今のように清潔な工場で生産されたのとは異なる、かつてのマッツァーの作り方が砂漠で実演、紹介されていた(「イスラエルの子らはこのようにマッツァーを作った」イスラエル公共放送制作)。

 

聖書においてマッツァーが言及されているのは、出エジプトに関する時だけではない。士師記(6:19)、サムエル記上(28:24)では思わぬ客人のために急いで作る食事としてマッツァーが挙げられている。ふつうパンを焼くためにはオーブンや鍋、あるいは鉄板状の調理器具が必要だが、その動画によるとマッツァーは、できるだけ少量の水で粉をこね、薄く丸くのばした生地を、火を熾した地面に直接置いて焼くものであった。

焼き上がるまでにかかる時間は1分30秒。地面は乾いた荒地なので湿った土や泥はない。それでも炭やほこりなどの汚れがつくが、それはパンパンと手で叩いて払う。マッツァーと共にペサハの伝統食とされる「苦菜」も今日ではレタスが用いられるが、実際は砂漠に自生する植物であった。

ナイル川の恵みを受けるエジプトは一大農業地域であり、そこの定住民は農産物を生きる糧にしていた。発酵パンは古代エジプトで最初に作られたという説もあり、それは宗教儀式においても供物として用いられた。創世記(43:32)には、エジプト人はヘブライ人と一緒にパンを食べることができなかったと記されているが、これはエジプト人が品質の点で劣るヘブライ人のパンが許容できなかったと解釈される。

豊かな定住農耕生活を送るエジプトに対し、古代イスラエル人の生活は(その理念としては)小家畜と共に移動するものであった。この二つの生活様式は常に対立し、拮抗した。動画は、エジプトのパンは美味だったろうが、簡素なマッツァーは何ものにも縛られずに移動できる「自由の味」なのだと結論づける。そして定住生活が当たり前となった今日でも、1年に数日間は、その簡素な味が象徴する自由を想起してはどうだろうか、と。

私たちはこの1年、移動の自由を奪われる生活を余儀なくされてきた。そして今、さまざまな批判はあれど、イスラエルにおいてはワクチン接種済証明書が部分的にその自由を回復しようとしている。イスラエルでは国の政策としてのワクチン接種を拒否する自由と、自由に移動したり集まったりする以前の生活を天秤にかけた結果、結局は大多数の人が以前の生活回復のためのワクチン接種を選択した。このまま状況が改善していけば集団免疫が獲得され、将来的には接種済証明書が不要になる可能性すらある。この先実際どうなっていくかは分からないが、自由、とりわけ移動の自由について改めて考えたペサハの祭日であった。

 

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

 






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