【夕暮れに、なお光あり】 コロナ禍での愛の交わりを求めて 細川勝利

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テレビの画面に手話通訳が出るようになり、ローア(聾唖)者への理解が深まっている半面、約26万人と言われるローア者への無知と偏見は強いと思う。

聾(deaf)は耳が聞こえないこと、または人。唖(dumb)は口がきけないこと、または人。

かつてローア者は耳が聞こえず言葉を語れないため無能者として軽蔑され、交わりや進学から疎外された。しかも一般社会だけでなく、キリスト教界は他の肢体障害者への理解を深めたにもかかわらず、ローア者に対しては無関心と思われる。それは現代の教会が知的に偏重し、全霊肉的交わりの欠如故と思う。

かつてアメリカの盲聾唖三重苦のヘレン・ケラー女史(1880~1968年)=写真=が来日し、大きな感動を起こした。女史はサリバン家庭教師による愛の体ごと「水」を浴びせられる教育を受け「水」と口で言うようになったことは有名である。ヘレン・ケラー女史の来日は一時的な感動に終わり、ローア者への理解と健常者との交わりは深まらなかったことは残念だ。

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=476422

しかし、昨年来のコロナ禍は教会の交わりの本質を見直す機会ではないだろうか。知的に偏重した愛の交わりではなく、体ごとの霊肉一体とした愛の交わりを築く機会とすべきと思う。なぜならすべての健常者は年老いると耳は遠くなり、舌はもつれ、いわばローア者になるのである(コヘレトの言葉12:4)。しかも、コロナ禍で多くの教会が共に集い神のことばを聞くことを止め、また口を開いて賛美することも止めている。いわば教会も信者もローア者になっているのである。しかし何より救い主は、ローア者の耳と口を開く方と預言されている。

現在「すべてのローア者に福音を」を標語としている「東洋ローア・キリスト伝道教会」の足立幸典理事長は、同教会の育ての親、前顧問舟喜拓生師に「第一に聖書に立ち神と人を愛すること。第二に教会と人を愛すること。第三に聖書に基づく教会観を確立し健常者の教会とローア者の教会は互いに学び合うこと」を教えられたと言われる。

コロナ禍の今、健常者の教会とローア者の教会が「主の教会」として交わりを深め、両者が常に「主の教会」となるよう祈りたい。また我々高齢者は日々ローア者になりつつあることを覚え、互いに愛による交わりを深めることを祈ろうではないか。

「キリストは、私たちの平和であり、二つのものを一つにし、ご自分の肉によって敵意という隔ての壁を取り壊し、数々の規則から成る戒めの律法を無効とされました」(エフェソの信徒への手紙2:14~15)

 ほそかわ・しょうり 1944年香川県生まれ。少年時代いじめっこで親、教師を困らせる。東京で浪人中63年キリスト者学生会(KGK)クリスマスで信仰に。聖書神学舎卒後72年から福音教会連合浜田山キリスト、北栄キリスト、那珂湊キリスト、緑が丘福音、糸井福音、日本長老教会辰口キリスト、パリ、ウィーン、ブリュッセル、各日本語教会で牧会。自称フーテン僕使。ただ憐れみで今日に至る。著書に『落ちこぼれ牧師、奮闘す!』(PHP出版)、『人生にナイスショット』(いのちのことば社)など。

 






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