【夕暮れに、なお光あり】 「捨てること」と「遺すこと」 川﨑正明

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最近は週刊誌を買うことはほとんどない。ただ、新聞の広告欄に掲載される刺激的な見出しを見ることで、内容を読んだ気持ちになっている。最近、『週刊現代』の広告に目が留まった。「70歳すぎて、80歳すぎて私が『捨てたもの』『やめたこと』」と題して、著名人10人の名前で「子供の写真も自分の宝物も、すべて捨てる」「葬式も同窓会も行かず、人間関係とおさらば」「年賀状もやめた、本も捨てた、服も捨てた」「見栄もプライドも捨ててしまえば、心が軽くなっていく」と書いている。思わず買って読んだが、実際の中身はそれほどの内容でもなかった。

終活という言葉がある。「人生の終わりについて考える活動」の略語で、2009年に『週刊朝日』が作った造語だそうだ。「人生のエンディングを考えることを通して、自分を見つめ、今をよりよく、自分らしく生きる活動」とのこと。そのために必要な三つのポイントは、①エンディングノートを書く、②遺言書を書く、③お墓を決めることで、そのメリットは、「自分の意志が家族に伝わり、老後の生活が前向きになり、充実する」「遺産相続のトラブルを回避できる」など、ネットで説明されていた。確かに80歳を過ぎると、終活は切実な問題だが、なかなかその思いがうまく整理できないもどかしさを感じている。

 明治、大正、昭和時代の優れたキリスト教の思想家であった内村鑑三が、『後世への最大遺物』という本で、人が後世に遺す最も大切なものは、①お金を貯めること。②事業を成して人の役に立つこと。③優れた思想を打ち立て精神の充実に貢献すること。いずれも立派なことだが、それらは誰でもができることではない。そこで、④「勇ましい高尚な生涯」を送ることが、誰もが可能な後世に遺せる最大のものだと説いている。「高尚な生涯」とはどういう生涯だろうか。「高尚」とは、辞書的には「知性や品性の程度が高いこと」「気高くて、立派なこと」という説明がされているが、その生き方の質が問われているのだと思う。

人生のエンディングについて、「捨てること」と「遺すこと」の意味を考えさせられている。そんな時、旧約の詩編90篇の言葉が浮かんできた。

 「私たちのよわいは七十年/健やかであっても八十年。/誇れるものは労苦と災い。/瞬く間に時は過ぎ去り、私たちは飛び去る。あなたの怒りの力を誰が知りえよう。/あなたを畏れるほどに/その激しい怒りを知っていようか。残りの日々を数えるすべを教え/知恵ある心を私たちに与えてください」(詩編90:10~12)

かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。

 






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