牧会あれこれ
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【毎月1日連載】牧会あれこれ (30) 君と僕は同じだ
私の所属する教会では、ほぼ50年にわたって重度身体障がい者と関わってきた。今はコロナ問題があり、中断しているが、これま…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ (29) 自死の問題を信仰で受け止める
最近、新聞やテレビで自死の問題がしばしば取り上げられるようになった。自死の問題は、人間の知恵で計り知れないところがあ…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ (28) コロナ禍が起こした教会の新しい変化
最近、コロナ禍は個人の人生のみならず、社会・経済状況、医療、福祉、教育の分野に至るまで大きな変化を与えた。今まで、当た…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ (27) コロナ禍の中のクリスマスプレゼント
クリスマスと言えば、何時もの慌ただしい生活から奪われている幸せを取り戻す季節の行事なのに、今年のクリスマスは、何時に…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ (26) 老いてこそ
江戸時代、年寄りを揶揄(やゆ)するが如き狂歌が世に出た。「皺がよるほくろが出来る、背がかがむ、頭は禿げる、毛は白くなる…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(25) 神にのみ栄光あれ
ある年の冬、ドイツの教会から招かれてハノーバーの北西50キロほどにある町ロックムに赴いた。町には12世紀に創建され、宗教…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(24)「私の死と私の物語
教会にTさんという女性がおいでであった。死と向き合った人である。Tさんは、検診の結果、末期がんと分かり、ご自身の決断で…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(21)賀来周一
へりくだっている自分は、弱々しい自分かもしれない。しかし、その弱々しい自分であればこそ、神からの慰めを受けることがで…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(20)「牧会配慮の必要を問う」
今日の教会では牧師や司祭が減少しているが、それを補う力が信徒の中から生み出されようとしている。コロナ禍がなくとも、信…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(19)賀来周一
すべての人に独り子が与えられ、すべての人が愛され、すべての人が永遠の命にあずかる出来事が起こったと福音は告げる。それ…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(18)賀来周一
人は自分のために生きているという思いから解放されない限り、自分の願望成就の奴隷になってしまう。「キリストに生きるため…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(17)賀来周一
伝道は、平和の挨拶で始まる。平和は、人が生きるための根源だからである。平和で構築された人間関係は、互いの助け合いを生…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(16)「『今』をどう捉えるか」
「ああ、そうか」は、いつでも「今」を見ていないと出てこない洞察を得た言葉だ。自分の人生に「ああ、そうか」と言える「今…
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牧会あれこれ(15)賀来周一
牧会は、人と人が向き合い、一対一で人のニーズを満たすことを基本とする。平たく言えば、膝と膝をつき合わせて、一人の人に…
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牧会あれこれ(14)賀来周一
「教会というところは、難しいところですな。わたしが会社にいた頃は、部下に『これをしておいてくれ』と言っておけば、すぐ…
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牧会あれこれ(13)賀来周一
「皆さんは、会衆が耳を傾けて聞いてくれる説教作りに大きな関心を持っているに違いない。しかし、会衆との間に信頼関係がな…
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牧会あれこれ(12)賀来周一
人は希望を失い、お先真っ暗になると、自分なりに答えを探し回る。しかし、苦難の真っただ中で、独り座す。その中でこそ、主…
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牧会あれこれ(11)賀来周一
「何もできない」、「何をしても効果はない」、「こんなことでは」と思い込んでいる時、その後ろには、「何かをしなければ」…
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牧会あれこれ(10)賀来周一
信仰は、貧しさや困窮を通して、地上における神の働きを私たちに見せてくれる。その時、不幸は嘆きに終わることなく、究極の…
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牧会あれこれ(9)賀来周一
教会は秩序や命令で動くところではない。効率や実績で人を見るところでもない。気持ちが優先するところである。それだけに人…