【インタビュー】聖公会神学院校長・佐々木道人さん 実習や共同生活の中で育まれる霊的成長(前編)

 

聖公会神学院(東京都世田谷区)は、日本聖公会の神学校(もう一つ京都市にウイリアムス神学館がある)。

緑に囲まれた構内に建つ校舎と諸聖徒礼拝堂

米国聖公会宣教師で日本聖公会初代主教のチャニング・ウィリアムズが1859年に来日し、1874年に築地居留地に立教学校(後の立教大学)を開き、その後、女子教育のために立教女学院や平安女学院を創設。78年、聖職者養成のため、自らが校長となって東京三一神学校を始めた。翌年、W・B・ライトとA・C・ショー(軽井沢ショー記念礼拝堂で有名)も聖教社神学校を設立したが、1911年にこの二つが合併して聖公会神学院が設立された(後に大阪三一神学校も合併)。

これまでに600人以上の卒業・修了生(校友)が、日本聖公会の諸教会をはじめ、諸施設や海外の諸教会の働きに遣わされてきた。

入学条件は、大学卒業以上で、教会の聖職・奉仕職を志している者か、すでにその職務に従事している者。ただし、学生は公募せず、全国の教会からの推薦に基づいて入学試験を経て入学が許可される。原則として全寮制の共同生活が営まれている。

校長の佐々木道人(ささき・みちと)さん(71)と、専任教員の中村邦介(なかむら・くにすけ)さん(70)、事務長の橋詰弘道(はしづめ・ひろみち)さん(75)に、同神学院の具体的な働きについて語っていただいた。

左から、中村邦介さん、佐々木道人さん、橋詰弘道さん

──佐々木先生の個人史をお聞きしてもいいでしょうか。

佐々木:私は東京・神田の商人の次男に生まれ、曹洞宗の寺で育った祖母やその娘である母に、言葉ではなく生き方を通して、日常生活の一つ一つのことが大事だと教えられて育ちました。大学を卒業して13年間、障がい者施設で働いたのですが、二つの大きな出来事がきっかけとなり、洗礼を受けました。

ヨブ記1章で、ヨブは子どもを亡くし、2章で難病にかかって苦しみますが、私も、最初に授かった子どもを3歳の時に事故で失い、その後、自分が難治性の肝炎にかかって仕事を辞めざるを得なくなったのです。施設の人たちと一緒に過ごす仕事はとても気に入っていたので、その仕事から離れることはかなりつらかった。そんな窮地の中で洗礼を受け、この神学校の聴講生として1年間学び、その後、正規に入学しました。

卒業後は3年間、教会で働きましたが、その後9年間は聖路加(るか)国際病院、12年間を立教女学院、その後1年間、教会で働いた後、2013年、この神学院に来ました。今年で7年目です。ですから、教会では数年働いただけで、あとはすべて施設関係で、障がい者や病院の患者さんやその家族、子どもたち、教員、保護者の間で揉(も)まれてきたのです。だから、「ご専門は何ですか」と問われると困ります。「人まみれ人生」と答えるしかありません。そういう体験のもとに聖書を読んできたのが、洗礼後の後半生かなと思います。

中村先生は同い年ですが、私が聴講生で入った時、ここで教員をされていて、私のチューター(個人指導教員)でした。

──佐々木先生と中村先生は古くからのお知り合いだったのですね。

中村:出会ったのはもっと前で、私が神学生だった時の実習先が、佐々木先生が勤めていた福祉施設だったのです。そこに3週間ほどお世話になったのですが、その後は直接のつきあいはありませんでした。それがある日、聖路加病院での実習に私が関わった時、彼が車椅子でいたのですね。ちょうど体を壊して施設を辞めたところで、それから再びつきあいが始まりました。そうするうちに佐々木先生が洗礼を受けられて、この神学院に学生として来たのです。後に遣わされることになる立教女学院でも一緒になりました。

──校長には人事異動のようなかたちで就任されたのでしょうか。

佐々木:そうです。聖公会は主教制で、主教から派遣の命令が出たら、信仰的に自ら「よし」と受け止めて、それまでの一切の関係を断ち切り、派遣場所に赴かなければなりません。神学院もその一つです。ただ、「校長をやるなら、中村先生の助けがなければできないだろう」と思っていたので、校長に就任して1年後に中村先生に加わっていただきました。

中村:実は、立教女学院で一緒に仕事をしていた時に、「この先、二人で神学教育をこぢんまりと、塾みたいなかたちでやったらどうか」と話していたのですね。そうしたら、本当にそうなってしまった。

礼拝堂内部

──神学院での学びの特色を教えてください。

佐々木:全国的に大学紛争の嵐が吹き荒れる中、神学院も1970年に大きな改革があり、1年間、休校となりました。その後、新しく建物が建ち、再開した学校に校長として就任したのが竹田眞(たけだ・まこと)元東京教区主教でした。この人が中心となって、今までの神学院のあり方を抜本的に変えていきました。

その改革の一つの柱として、実習(Field Education)に重きを置いたカリキュラムに変えて、少し前から試行的にやっていた聖路加国際病院での臨床牧会訓練を必修科目としました。これは、病床にある患者さんの部屋を訪ね、臨床的な対話的関係を深めていくというものでした(病院での実習は88年で終了)。

また当時、立教大学のキリスト教教育研究所(JICE)がやっていた人間関係訓練も取り入れました。実習を通して、そこから神学にどうつながるかを学んでいるのが特色かと思います。お互い自分が材料となって学び合うというところでしょうか。

──現在ではどのような実習を取り入れているのでしょうか。

佐々木:今は、学生がそれぞれ福祉施設などを選び、受け入れ交渉をして、そこに直接出かけて実習をしています。帰ってきた時には、お互いにその経験を丁寧にシェアするようにしています。だいたい夏に行っています。

実習先は、DV(ドメスティック・バイオレンス、配偶者暴力)の女性被害者を支援するNPO法人(東京)、精神障がいなどを抱えた当事者が地域活動の拠点とする社会福祉法人(北海道)、精神障がいをもつ人たちの就労・生活支援の社会福祉法人(大阪)などがあります。ほかにも、韓国の社会宣教について学ぶためソウルに行く学生もいます。実習先では、一緒に暮らすということを徹底してやっています。実習先は変わっても、このことだけは当初から変わっていません。

中村:実習にかけては、時間をかなり割いています。事前の準備をしっかりして臨みます。実際の現場では、突然、何が起きるか分かりません。その突然のことへの対応力も身につけていきます。3年間を通して行うのですが、1年次は具体的な経験から学ぶということで、社会福祉施設などに行って、そこから学ぶ。2年次は自己覚知で、「生涯の働きを担う自分とはどういうものなのか」を掘り下げていきます。3年次は、将来、自分がなる牧師の働きの中でどういうものが役に立つか、どういうものが参考になるか、将来の働きを見据えながら自分の関心に沿って実習をしていきます。そういう枠組みの中で実習が行われています。

図書館には約3万冊の蔵書が備えられている。

──どのような学生が学んでいるのでしょうか。

佐々木:現在、学生は5人で、30代後半から60代までの人が学んでいます。昔のように、大学を出てすぐ入学してくる人は少ないですね。人生の折り返しみたいなところで入ってこられる人も多く、実際に学校の校長先生だった人が定年を迎え、神学院に入り、牧師になったケースもあります。また、近ごろの傾向としては、女性の入学者が増えていることがあります。それから、「もう一度学び直したい」という牧師のためのコースもあります。今も一人、おつれあいと一緒に家族寮に入られ、1年間の学びをしています。

ここは時流に逆らっているのかもしれませんが、全寮制です。女子寮、男子寮、家族寮があって、私と中村先生も敷地内に住んでいます。一緒に暮らすことはたいへんですが、朝晩一緒に礼拝し、昼食は毎回一緒にとる。そこでお互いを分かり合えるようになるのですね。ある意味、昔の修道院のようだとも言えます。今までの生活を断ち切り、違う時空に入る。それは今の世の中にあまりないことではないかと思っています。通学生の受け入れも考えてはいますが、寮での生活は信仰の大きな転換が起きるところだと、この頃ますます強く感じています。

──卒業後は皆さん牧師になるのでしょうか。

中村:聖公会は、沖縄から北海道まで全国に11の教区があって、そのそれぞれに主教が一人ずついます。基本的には各主教が神学教育の責任を担っているので、神学校に入学するには、主教の許可が必要です。卒業後、試験を受けて執事や司祭になり、それぞれの教区に戻って、そこから教会や伝道所、施設などに遣わされていきます。(後編に続く)

 






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