クリスチャニティー・トゥデイ

【CHRISTIANITY TODAY】2018年ランキング(2)

投稿日:2018年12月30日 更新日: -

 

5位 説教者はポスト・キリスト教社会に影響を及ぼせるか(8月20日)

マイケル・ブルース・カリー首座主教(写真:Beth Crow)

ポスト・キリスト教社会の英国では、人々が演説に耳を傾けるという文化は失われている。しかし、ロイヤル・ウエディングでのマイケル・カリー首座主教の説教は、予想外にも多くの人の心をつかんだ。

神学者ヘルマン・バーフィンクは、すばらしい説教を紹介するにあたり、次のように語っている。「その説教の言葉が与えた影響は並外れたものでした。王も、その取り巻きも、そこにいた人たち全員が身震いしました。説教者自身も感情が溢(あふ)れんばかりになり、ものも言えなくなりました。一瞬沈黙した後、顔を手で覆いました」

ロイヤル・ウエディングの説教は、この説教ほど強い印象をその場にいた聴衆に与えたというわけではないようだ。貴族たちは作り笑いをし、有名人は笑顔を見せたが、押し黙って青ざめた顔を手で覆う者は一人もいなかった。

それでもカリー主教の説教は、明らかにそのメッセージの内容を信じている人が興味深くも語っているように、世俗的な大衆を驚かせた。つかの間ではあったが、「説教で感動することなどない」と思っていた現代人を感動させたのだ。

4位 イエスを愛するサッカーW杯のスター(6月26日)

ケイロル・ナバス(写真:Антон Зайцев)

向こう1カ月の間、世界はワールドカップ(W杯)フィーバー一色になる。出場する32ケ国、数百人のアスリートのうち、自分の言葉で信仰を語る選手たちの話を聞いてみよう。

たとえば、ブラジルのアリソン・ベッカーは最近、プロを目指す人に対して、「成功するためには信仰が大きな意味を持つ」とアドバイスしている。「うまくなりたいなら、すごく努力しなければならない。それから、信仰もとても大事だ。神様を信じていると、ピッチでは最善を尽くさなければならないこと、どんなことでも愛を込めてしなければならないことが分かるんだ」

コスタリカのゴールキーパー、ケイロル・ナバスも次のように語った。「信仰は僕にとって何よりも大切だ。神様との個人的な関係を持って、聖書の言葉の本当の意味を理解したとたん、信仰はただの宗教ではなくなった。聖書の言葉はイエス様が残してくださったものだと分かったんだ。このことで僕の人生は変わった。心の中にあった空洞が埋まったんだ。本当に感謝している」

3位 2018年 今日の英語圏で最も影響力のある説教者12人(7月9日)

ジョン・パイパー(写真:Micah Chiang)

説教学の専門家を対象に、ベイラー大学トゥルエット神学校が行った調査の結果、「英語圏で最も影響力のある説教者」として選ばれたのは次の12人。

パークサイド教会主任牧師のアリステア・ベッグ、オーク・クリフ・バイブル・フェローシップ主任牧師のトニー・エバンス、ベイラー大学ジョージ・W・トゥルエット神学校で教えているジョエル・C・グレゴリー、リディーマー長老教会主任牧師だったティム・ケラー、エモリー大学キャンドラー神学校の名誉教授トーマス・G・ロング、トリニティー・ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト主任牧師のオーティス・モス3世、ベツレヘム・バプテスト教会牧師だったジョン・パイパー、ゴードン・コンウェル神学校元学長のハッドン・W・ロビンソン、ノースポイント・コミュニティー教会牧師のアンディー・スタンリー、ストーンブライアー・コミュニティー教会主任牧師のチャールズ・スウィンドル、元米国聖公会司祭のバーバラ・ブラウン・テイラー、ザ・チャーチ・ウィザウト・ウォールズ主任牧師のラルフ・ダグラス・ウェスト。

トップ12人の説教スタイルが幅広いことから、訴求効果のある説教をする方法は一つでないことが分かる。神は多様な人を通して、多様な方法で語られるのだ。

2位 「先生、教会のために休みを取ってください」(8月14日)

(写真:Ziga)

休暇を取るにあたって、私は気を回し始める。「何か揉(も)め事が起こるかもしれない。急を要する事務的なことが生じるかも。誰かが入院して、私の励ましの言葉が必要にならないかしら」

また、自分の休みを計画しながら、自分が休みを取る理由を説明している。「もう6カ月も休んでいない。長いこと旅行のためのお金も貯めてきた。安い旅だし、贅沢(ぜいたく)しているわけではない」

そして、ひそかに思う。「教会の人たちは、私が休んだら妬(ねた)んだりするかしら。暇で、わがままで、教会や、教会が必要としていることにしっかり取り組んでいないと思われないかしら」

1位 牧師が信徒のそばにいない「不在のミニストリー」(9月24日)

ヘンリ・ナウエン(写真:Frank Hamilton)

「先生、お会いしたいのですが」という言葉を私たち牧会者が聞かない週はまずない。これが私たちの召しそのものだという人も多いだろう。人が必要とする時にその場にいること。悲劇やいさかい、病や心痛のさなかにある人と共にそこにいること。私たちは牧師室で、病院で、食卓で、あるいはお茶を飲みながら、どんな時も、曜日を問わず人と会う。

こうしたことは多くの牧会者にとって議論の余地なく仕事の一部であり、最初に職に就いた時点で分かっていたことだ。しかし、このような状態は健全といえるだろうか。さらに重要なことは、これは聖書的だろうか。「牧会者は常にその場にいなければならない」という過度な要求は、「イエスの代理となる人にいてほしい」、「その代理を牧会者にしてほしい」と望む〔信徒の〕思いと結びついているのではないか。

ヘンリ・ナウエンは、「牧会者は人の求めに応じすぎるきらいがある。つまり、いることが多すぎ、いないことが少なすぎる。その結果、自分が場所を取りすぎて、神と聖霊の居場所がなくなってしまうのだ」と書いている

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