
【毎月1日連載】牧会あれこれ (30) 君と僕は同じだ
私の所属する教会では、ほぼ50年にわたって重度身体障がい者と関わってきた。今はコロナ問題があり、中断しているが、これまでは毎月一...
私の所属する教会では、ほぼ50年にわたって重度身体障がい者と関わってきた。今はコロナ問題があり、中断しているが、これまでは毎月一...
最近、新聞やテレビで自死の問題がしばしば取り上げられるようになった。自死の問題は、人間の知恵で計り知れないところがある。死については、信仰の言葉は魂をゆさぶるような慰めに満ちている。
最近、コロナ禍は個人の人生のみならず、社会・経済状況、医療、福祉、教育の分野に至るまで大きな変化を与えた。今まで、当たり前のこと...
クリスマスと言えば、何時もの慌ただしい生活から奪われている幸せを取り戻す季節の行事なのに、今年のクリスマスは、何時になく様子がち...
江戸時代、年寄りを揶揄(やゆ)するが如き狂歌が世に出た。 「皺がよるほくろが出来る、背がかがむ、頭は禿げる、毛は白くなる 手は振...
ある年の冬、ドイツの教会から招かれてハノーバーの北西50キロほどにある町ロックムに赴いた。町には12世紀に創建され、宗教改革によ...
教会にTさんという女性がおいでであった。死と向き合った人である。Tさんは、検診の結果、末期がんと分かり、ご自身の決断で在宅緩和ケ...
へりくだっている自分は、弱々しい自分かもしれない。しかし、その弱々しい自分であればこそ、神からの慰めを受けることができる。自分が強いと、自分の力で聖書を読む。そうなると、信仰が薄らぐ。低きにいてこそ、主の恵みに豊かにあずかり得る。
今日の教会では牧師や司祭が減少しているが、それを補う力が信徒の中から生み出されようとしている。コロナ禍がなくとも、信徒による牧会配慮の必要性は、今後の教会形成に必須であろう。それが今、この緊急事態をバネにして促進されているように見える。
すべての人に独り子が与えられ、すべての人が愛され、すべての人が永遠の命にあずかる出来事が起こったと福音は告げる。それを〈わたし〉のこととして聞くことによって、その福音を信じる信仰がわたしの中に起こる。信仰は、福音を聞くという体験から始まる。