故・遠藤周作氏の妻、遠藤順子さん帰天

作家の故・遠藤周作氏の妻、遠藤順子(えんどう・じゅんこ)さんが1月17日、心不全のため東京都内の病院で帰天していたことが11日、分かった。93歳。追悼ミサ・告別式は近親者で行った。喪主はフジテレビ社長の長男・龍之介(りゅうのすけ)氏。

1927年、東京生まれ。慶応義塾大学仏文科卒。55年、大学在学中に仏文科の先輩後輩として出会った周作氏と結婚。周作氏が『白い人』で芥川賞をとった直後だった。以後、入退院を繰り返す病弱な夫の作家活動を陰で支え続けた。

結婚の翌年、長男の龍之介氏が誕生し、幼児洗礼を受けたことがきっかけで順子さんもカトリックの洗礼を受けた。2005年放送の「こころの時代」(NHKEテレビ)でその当時のことを順子さんは次のように語っている。

子どもが洗礼を受けてから1年ぐらい、それでも(クリスチャンになるまいと)頑張っていました。「とにかく広島や長崎に原爆なんかを落とすようなクリスチャンは大嫌い。私は絶対そういう者にはならないからね」と言って頑張っていましたね。そうしたら主人はとても困ったような顔をして、「お前はバカだな。キリスト教とクリスチャンとは全然違うんだ」とよく申していました。それでも、「どうしても(洗礼を)受けろ」ということは1回も言わなかったんです。……ほんとに自分がやっぱり苦しんでみないと、人の苦しみというのは頭で分かっているだけなんです。……神さまがそういうような苦しいことを与えるのは、決して主人のためでも、意地悪でも何でもなくて、それは「人間としての愛を深めなさい」ということなんだなあと今は思うようになりました。

96年に周作氏が死去した後に執筆活動を開始。周作氏との思い出をつづったエッセー『夫の宿題』(PHP研究所刊)はベストセラーとなった。ほかに、夫の闘病生活や『沈黙』執筆秘話など、知られざるエピソードを語った『夫・遠藤周作を語る』(聞き手・鈴木秀子、文藝春秋)や『再会 夫の宿題それから』(PHP研究所刊)がある。

2000年に開館した長崎市遠藤周作文学館(東出津町)の建設にも尽力した。当時の長崎県知事が周作氏の通夜に訪れ、文学館を長崎にと順子さんに提案したことがきっかけ。複数の候補地の中から、紆余曲折の末、周作氏の代表作『沈黙』の舞台であり隠れキリシタンの里として知られる西彼杵郡外海町(にしそのぎぐんそとめちょう、現長崎市)に文学館を建設することが決定。遺品や草稿など約3万点の貴重な資料を寄託・寄贈した。文学館には頻繁に足を運んで、運営について助言したり、講演したりするなど、館の発展に力を注いだ。

妊娠に悩んでいる女性を支援し、胎児の命を守ろうと活動しているNPO法人「円ブリオ基金センター」(東京)の理事長も務めた。エンブリオとは8週までの胎児の学術名。1円の「円」とエンブリオの「エン」をかけて「円ブリオ基金」と命名され、赤ちゃん誕生を喜ぶ社会を目指している。

「円ブリオ基金」は、ノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサの再来日(1982年)を契機として84年に設立された「生命尊重センター」を母体として始まった。93年から、ひと口1円の拠金を募り、それを原資として「円ブリオ基金」を設立し、困窮している妊婦の出産費用の援助を行っている。2003年には「NPO法人 円ブリオ基金センター」となり、電話相談も開始した。設立以来、センターの支援で841人(2021年2月8日現在)の赤ちゃんが誕生したという。

2019年にフジテレビ社長に就任した遠藤龍之介氏は一人息子で、1956年生まれ。両親と同じ慶應義塾大学に学んだ。また、俳優の岡田英次の従妹にあたる。

 






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