フランスの首切断事件から表現の自由を考える(1)

(本記事では、Islamについて原音に近い「イスラーム教」という宗教名を採用しています)

静かな郊外で起きた恐ろしい事件

先月16日、ある教師がフランス・パリ郊外の路上で殺され、頭を切り落とされるという事件が起きた(犯人は犯行直後に警察により銃殺)。その教師は「表現の自由」に関する授業の中でイスラ-ム教の祖、預言者ムハンマドの風刺画を生徒に見せており、犯人はそのことをイスラーム教指導者から聞いて犯行に及んだのだという。
教師は風刺画を見せる前に、生徒たちに何を見せるかを説明したうえで、もし気分を害すようであればいったん教室から退席してよい、と伝えていたが、この風刺画にはムハンマドの姿が全裸で描かれており、宗教的配慮の面、教育の面において不適切なのではないか、という批判が上がっていたと英BBC放送は報じている。

この事件についてマクロン仏大統領は「私たちには(神をも)冒瀆する権利がある」「イスラーム教は危険な状況にある」として週刊誌に風刺画を掲載したシャルリエブド社の表現の自由、教員がその風刺画を教室で使用する自由を擁護する姿勢を見せ、イスラーム圏政府を筆頭に不買運動やデモなどによる反発が広がっている。

広がるフランス政府批判

アムネスティインターナショナルは近年のフランス政府がイスラーム教団体に対する圧力をかけていることをあげて「(教師の)殺人事件は確かに痛ましいものだが(中略)フランス政府は自分の都合のいい時にだけ表現の自由という切り札を用いている」と批判している

広く植民政策を広めたフランスの過去が世界的な反発に作用していることも想像に難くない。
マレーシアのマハティール元首相は、「(殺人や暴力を奨励するわけではないが)フランスは大勢のムスリム(イスラーム教徒)を殺してきた。もし一人のムスリムが起こした事件がイスラーム教全体のせいにされるのであれば、(同様に)ムスリムにもフランス人を殺す権利があるはずだ」という趣旨の投稿をして波紋を呼んだ(投稿は後に運営側によって削除された)。

前野直樹氏(日本ムスリム協会理事)は本紙のインタビューに応え「ムスリムと一口に言っても、文化背景や信仰背景によってこの事件への反応は異なります。しかし、イスラーム共同体にとって預言者ムハンマドはこよなく敬愛する存在であり、皆さんにはそのことを理解して欲しいと思います」と述べた。

日本でも、フランスでの一連の流れを受けて声明文が発表された。その主張の3点目には、以下の文言が掲載されている。
「表現の自由は、いかなる理由があろうとも、世界に20億を超える人々が信奉するイスラームの象徴的存在・預言者ムハンマドへの誹謗(ひぼう)中傷をよしとはしない。このような誹謗中傷はイスラームの預言者が否定し、私たちも拒絶するところの、過激で暴力的な思想を助長するだけのものである。全世界の良識ある諸団体、人々は、表現や思想の自由とは何の繋がりもない、このような誹謗中傷に対して断固反対すべきである。」

声明は前野氏を含めたイマーム(イスラム教指導者)34名による連名で出された。前野氏によると全国のマスジドのイマーム有志が集まって声明を出すのは初めてだという。

渦中の「表現の自由」

「表現の自由」とは1789年、フランス革命の最中に書かれた人間と「市民の権利の宣言」に盛り込まれているものだ。

フランス国会図書館が出している定義には「言論の自由は絶対的なものではない」と明記されており、人種差別(ヘイトスピーチ)やテロリズムの正当化には適用されないほか、特定の個人や団体の名誉を貶(おとし)める言動を擁護するものではない、としている。

表現の自由は「ライシテ(政教分離法)」と共に、時代背景としてあった王権神授説を否定するために必要となったものだが、現代の文脈を考えるときに「なにが」「どこまで」「どのように」自由なのかが問われていると言えるだろう。

アメリカでも今年8月、デモ参加者が聖書や国旗を燃やしている動画が注目されて、表現の自由の範疇(はんちゅう)が問題になった。(この動画はロシア政府が間接的に所有するサイトから出されており、米選挙に向けた扇動が目的だとして大手メディアは大きく取り上げなかった)

に続く)

 






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