【発達障害クリスチャンのつぶやき】 肩書きを聞いても動じなかった高校生との出会い

私は「数学を専門とする大学院生」でした。こちらの素性がわかると、多くの人は恐れ入ってしまうというか、尊敬していると見せかけて敬遠されるか、とにかくそこから話が進まなくなってしまうのです。でもあるとき、これを聞いてもまったく動じなかった高校生がいて、そのことが強い印象に残っています。

私が山手線にそって道をぐるっと一周して歩いているときのことでした。だいたい12時間かかります。だいたい朝の8時くらいに出て時計回りに歩き、夜の8時に帰ってくるのです。あるとき、品川付近を歩いていて、ある高校生の女の子と出会いました。おそらく道を聞かれて、おしゃべりをするようになったのです。彼女は付近の美術館に行こうとしていました。美術の道を極めようとしている学生さんでした。話しているうちに私の専門を聞かれ、数学を専門とする大学院生であることを言いました。彼女はまったく驚いた反応を見せず、話を真剣に聞き、自分も美術の道を極めようとしていることを、しっかりした口調で話してくれました。そのまま美術館までの道を調べ、一緒に近くまで行き、別れました。わずか1時間にも満たない出会いでしたが、非常に印象に残りました。恐縮することなく、真剣に私の話を聞いてくれる人は、それくらい稀だったということになります。

Photo by Zane Lee on Unsplash

あるユースホステルでいっしょになった女子学生さんは、私の専門を聞いて「あなたみたいな人がいて、数学をどんどん進めてしまうから、私たちが苦しむんだよ!」と(もちろん冗談ですが)言いました。私は「スポーツでもなんでも、世界記録は更新されるでしょ? それと一緒」と言い返しました。

さすがに大学の先生で、私の専門を聞いて恐縮する人はほとんどいませんでしたが、ただひとり例外がいました。旧約聖書学者の山我哲雄(やまが・てつお)先生です。山我先生は、私の専門を聞いて「ひょえ~! ぼくは数学とか苦手なんだよね~」とおっしゃいました。ご自身こそ、旧約聖書学の大家なのに。一般人のような反応だ。おもしろい先生だと思いました。

いろいろあって数学者の夢を断たれた私は、中高の数学の教師になりました。当たり前かもしれませんが、「数学を専門とする大学院生」に比べて「中高の数学の教師」は、全然「ひょえ~!」ではない。教師になってすぐ、ある牧師に職業を聞かれて答えると、「ああ、数学。ぼくも高校のころ好きでしたよ。なんかパズルみたいでね」と言われました。このときの牧師ほど、高校数学の本質をついた言葉はなかなか聞いたことがありません。そうなのです、高校までの数学は、まるでパズルみたいなのです。

肩書きだけで反応することなく、こちらの話をちゃんと聞いてもらえている感じ。みなさん、「数学を専門とする大学院生」に限らず、一芸に秀でた人とか、なにかで新聞で取り上げられている人とか、一見びっくりするような人がいたとき、安易に「ひょえ~!」という反応はしないほうがいいかもしれません。その反応は、一見、「尊敬」を意味しているように見えて、じつは「敬遠」を意味しているように相手には取られているかもしれません。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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