コラム

神さまが共におられる神秘(20)稲川圭三

投稿日:2018年10月7日 更新日:

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神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない

2015年10月4日 年間第27主日
(典礼歴B年に合わせ3年前の説教の再録)
神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない
マルコ10:2~16、または10:2~12

説 教

ファリサイ派の人々がイエスさまを罠(わな)にかけようと近寄ってきて、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねました(マルコ10:2)。するとイエスさまは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返されました(3節)。

それに対して彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えたので(4節)、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」とイエスさまは言われました(5節)。

そして、イエスさまはお続けになります。「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(6~9節)

妻と「結ばれ」という言葉は、強力な接着剤でぴったりくっついて離れなくなることを表す言葉です。また「一体」というのは、「一つの体」「一つのいのち」「一つの肉」とも訳せる言葉です。だから、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。

「結び合わせる」とは、「一つの軛(くびき)につける」という意味の言葉です。軛は、動物を2頭並べて首と首を連結し、一緒の向きに行かせるものです。「神さまが結び合わせて、一つの軛につけた二人を、人は離してはならない」というのが、今日のイエスさまの言葉です。

神さまが結婚をどのように考えておられるか、次の言葉がはっきり表しています。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2:18)

「彼に合う」は、ヘブライ語で「ゲネグド」という言葉です。同じ目線で、お互いに響き合うもの、呼応し合うものという関係です。「助ける者」は、ヘブライ語で「エーゼル」という言葉です。旧約聖書ではほとんど、「神さまが人を助ける」という意味で使われています。だから、神さまが人を助けるようにお互い助け合う者として、神さまは夫婦を出会わせたということです。

神さまが助けるように夫婦が助け合うとはどういうことでしょうか。お互いがお互いを、神さまが「良し」としてくださっているいのちであることを受け取り合い、表し合うのが、「神さまが助けるように助け合う」ということではないでしょうか。

創世記1章で、神さまはお創りになったものを「良しとされた」と繰り返されます。そして最後に、お創りになったすべてのものを「見よ、それは極めて良かった」(31節)と言われました。何一つ例外なく、すべてが申し分なく良かったということです。

これが神さまのまなざしです。そのまなざしをお互いが受け取り合って生きるように、「助ける者」を造ろう。これが、神さまがお望みになり、お定めになられたことです。

神さまはすべてを「良し」としてくださっています。それをお互いに受け取り合って生きるように、神さまは夫婦の絆を定めてくださいました。そのことを思い起こさせていただきたいと思います。

「神さまが結んでくださった」というところに夫婦が立たせていただく時、神さまは夫婦の間にしか作り出すことのできない特別な恵みによってお互いのいのちを立たせ、支え合わせてくださると確信します。

神さまは私たちと一緒にいてくださいます。決して離してはならない絆で共にいてくださいます。そのことを、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15)というのが、今日の福音の後半です。

子どもたちは、神さまが共におられることを全然知らず、気づきもせず、意識していないかもしれないけれど、その真実の中にただ生きているみたいです。子どもは、神さまが一緒にいてくださる資格が自分にあるかなんてことも考えません。ただただ一緒にいてくださる神さまの真実を生きているのだと思います。

私たちも今日、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われています。今日も私たち一人ひとりに神さまが一緒にいてくださるその真実に、ただただ入って生きる者になりますように、ご一緒に恵みを願いたいと思います。

男と女は全く違う生き物です。全然違うけれど、一つになって生きるのが結婚の契(ちぎ)りです。神さまと私たち人間は全く違います。それなのに、「一つになって生きるように」という招きが神の国の招きです。結婚している者もしていない者も、大人も子どもも、女も男も、ただただその交わりに招かれていることを、今日の福音全体が教えているのです。

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稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

今週のテーマはいのちのみことば
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わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」

「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。

わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。

あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。

わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。

ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。

しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。

また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。

また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

(ヨハネによる福音書 5:30-39)

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