【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(92)稲川圭三

敵の中に神のいのちを認めて

2017年2月19日 年間第7主日
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい
マタイ5:38~48

マタイ福音書の「山上の説教」の中の教えが今週も読まれています。

先週から続いてイエスさまは一つのパターンで話しておられます。「あなたがたも聞いているとおり、こう言われている。しかし、私は言っておく。こうしなさい」。そのようなかたちで話されています。

「あなたがたも聞いているとおり」というのは、旧約の律法を意味します。そして、それに続くイエスさまの言葉は、旧約の教えの完成です。

イエスさまは、お語りになることをそのまま生きておられる方でした。自分がそのように生きておられないことを人に話したり、教えたり、勧めたりなさらないお方です。イエスさまは、語られる言葉と存在が一致している、まさに「神の言葉」というお方でした。

今日の教えを私たちはどのように聞くのでしょうか。「あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」(マタイ5:48)と言われて、「やれやれ、たいへんな掟(おきて)だ」(笑)と気が重くなってしまうのでしょうか。

「掟」や「命令」、しなければならない何らかの「外的な課題」としてこの言葉を聞くならば、そこには重さがあるだけだと言えるかもしれません。あるいは、重すぎるがゆえに、はなから諦(あきら)めてしまうかもしれません。「まあ、いいか」(笑)ということにしてしまう。

でもイエスさまは、私たちのいのちを望まれる方であって、私たちに重荷や苦痛を与えることをお望みになる方ではありません。いのちを与えるために教えておられるということを、まず第一番目に受け取らせていただきたいと思います。

「誰かがあなたの右の頰を打つなら、左の頰をも向けなさい」(39節)という教えはけっこう有名ですよね。「相手の右の頬を打つ」というのは、手の甲で頬を打つということです。それはユダヤ人にとって最大の侮辱でした。そこにイエスさまは「左の頬をも向けなさい」と言われます。

イエスさまはこのことを自ら生きておられたと思います。ゲツセマネで捕らえられて十字架にかけられる前に、兵士たちはイエスさまの服をはぎ、深紅の外套(がいとう)を着せ、茨(いばら)で編んだ冠(かんむり)をかぶせ、右手に葦(あし)の棒を持たせて(「お前の王杓(おうしゃく)だ」という意味です)、「ユダヤ人の王、万歳」と言ってバカにしたんです。そして唾(つば)を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けながら侮辱したのです(マタイ27:27以下参照)。

そのイエスさまの様子を見た者たちは、あとでイザヤの預言の言葉を思い出しました。「屠(ほふ)り場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、口を開かなかった」(イザヤ53:7)。まさにイエスさまは、右の頬を打たれたら左の頬も差し出すような方だったと言うことができると思います。

この教えのどこにいのちがあるのでしょうか。この教えを守ることが、私たちをどのようにいのちに導くのでしょうか。

今日読まれた福音の後半は、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(44節)という教えですが、イエスさまはこの教えを自ら生きておられました。そのことが最大限に表されたのが、イエスさまの「十字架」という出来事でした。

十字架に釘づけにされたイエスさまの周りで、イエスさまを侮辱し、罵(ののし)り、あざ笑う者たちがいました。そして、その者たちに対してイエスさまはこう祈られました。「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているのか分からないのです」(ルカ23:34)。自分を迫害し、殺す者のためにイエスさまは祈られました。

この祈りはどこに向かっているのでしょうか。それは神のいのちだと思います。「知らない」でいる彼らの中に神のいのちがあることに目を向けたことが、十字架上の祈りです。自分を迫害する者の中にも、自分から奪い取ろうとする者の中にも、自分を侮辱する者の中にも、神のいのちがあるという真実に向かう眼差しをイエスさまは教えてくださったんだと思います。

イエスさまは私たちに、負いきれない重荷を負わせる方ではなく、いのちをお与えになる方です。「私の軛(くびき)は負いやすく、私の荷は軽いからである」(マタイ11:30)とイエスさまは言われます。イエスさまの荷とは、人間の中の悪を数え立てる荷ではなく、悪があっても、その最も奥深くに神さまがお住まいになっているということを認める荷です。それは負いやすく、軽いということなのだと思います。

だから、お互いの中に、神がお住まいになっておられる真実を見いだして今日も歩むようにとイエスさまは教えておられます。それが「敵を愛しなさい」という教えの意味ではないでしょうか。

 






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