愛媛人物博物館が常設展示リニューアル、県ゆかりの12人を追加 キリスト教社会事業家の城ノブなど

愛媛県生涯学習センター(松山市)内にある愛媛人物博物館が4月に開館30周年を迎えるにあたり、20日、常設展示に新たな偉人12人が追加されてリニューアルした。遺品や写真、資料などによってそれぞれの功績や足跡を伝えている。

愛媛県生涯学習センター(写真:同)

新たに加わった一人に、キリスト教社会事業家の城(じょう)ノブがいる。神戸婦人同情会の創設者で、1920年代に自殺予防キャンペーンで国際的な注目を集めた。

城ノブ

1872年10月18日、愛媛県温泉郡川上村(現在の東温市)で生まれる。父親は、長崎で西洋医学を教えていたシーボルトの弟子で、松山藩典医。四国で最初に設立された女子校でプロテスタントのミッションス・クールの松山女学校(現在の松山東雲学園)に家から12キロも歩いて通学し、90年に卒業。漢学塾でも学んだ。米国の南メソジスト監督教会宣教師で関西学院などの創設にも関わったデュークス宣教師から洗礼を受けたが、そのため父親から勘当された。93年、横浜の聖経女学校神学科(後の青山学院神学部)に入学。卒業後、弘前女学校に教師として勤務するかたわら伝道活動を行った。

1903年、社会主義研究会メンバーの伊藤智二郎と結婚したが、夫が追われて海外へ脱出したため、入籍しないまま実家に戻り、長男を出産した。

その頃、大正初めの大不況時代に農村の多くの娘が売られ、転落していくさまを見かね、16年に神戸市内に小さな家を借りて神戸婦人同情会を開設し、「娘の家」と名づけて女性保護事業を始めた。苦悩にあえぐ女性を保護して職を世話するなど自立を助けるとともに、遊郭で苦しむ女性を救済する廃城運動、また女性参政権確立などにも尽力した。そうした活動中に、暴力団に立ち向かって暴行を受け、聴力を失い、足に怪我(けが)を負うこともあったという。

線路横にある自殺防止看板

17年、兵庫県の須磨の一の谷の海岸と国鉄線路に女性の投身自殺が増え続けてきたので、「一寸(ちょっと)待て。神は愛なり。死なねばならぬ事情の方は一度来て下さい。相談に預かります」と住所と電話を記載した立看板を数キロにわたって掲げ、全国で話題となった。以来、相談に来たのは5万人以上で、収容者7000人以上の世話をした。妹尾河童の自伝的小説『少年H』にも、主人公が自殺しようとして須磨の国鉄線路に来た時にこの看板を見て思いとどまったと書かれている。

日本基督教婦人矯風会神戸支部長も務め、神戸栄光教会に所属していた。1959年、87歳で亡くなった。

新しく展示に加わったのは他に、鎌倉時代中期の東大寺戒壇院の僧侶である凝然(ぎょうねん)、教育者の山路一遊(やまじ・いちゆう)、平安時代中期の官史・海賊である藤原純友(ふじわらの・すみとも)、漁業家・金輪網発明者の浦和盛三郎(うらわ・せいざぶろう)、住友別子鉱山最高責任者の鷲尾勘解治(わしお・かげじ)、冒険家の河野兵市(こうの・ひょういち)、図案家の杉浦非水(すぎうら・ひすい)、鍛冶職人の白鷹幸伯(しらたか・ゆきのり)、俳人・町年寄の岩城蟾居(いわき・せんきょ)、作家・脚本家の早坂暁(はやさか・あきら)、柔道家の道上伯(みちがみ・はく)の11人で、これまで展示されていたものと合わせて190人の展示となった。

愛媛人物博物館は、愛媛ゆかりの偉人の生き方を学ぶ機会を提供するとともに、生涯学習風土醸成を図るために開館した。常設展示室では、「学問」「教育」「政治、行政」(第1展示室)、「産業」「社会」(第2展示室)、「芸術」(第3展示室)、「文芸」(第4展示室)、「芸能」「スポーツ」(第5展示室)の9つの分野で活躍した愛媛ゆかりの偉人・賢人について関係資料や遺品を展示し、その業績や生涯を紹介している。

開館時間:午前9時~午後5時30分まで(展示室への入場は午後5時まで)
休館日:月曜日・年末年始(祝日および振替休日にあたる場合は、その翌日)
※春期・夏期の学校長期休業期間及びGW期間中は開館

 






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