ローマ教皇庁駐日大使のジョセフ・チェノットゥ大司教の追悼ミサ、17日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で

8日に帰天したローマ教皇庁駐日大使のジョセフ・チェノットゥ大司教の追悼ミサが、17日午後2時から東京カテドラル関口教会・聖マリア大聖堂(東京都文京区関口3の16の15)で執り行われる。主司式は髙見三明大司教(長崎大司教、日本カトリック司教協議会会長)、喪主は臨時代理大使のベチェスラブ・トゥミルさん。

台湾の蔡英文(さいえいぶん)総統とジョセフ・チェノットゥ大司教(写真:台湾総統府)

カトリック中央協議会事務局は次のように呼びかけている。「新型コロナ・ウイルス感染症防止のため、当日は一般の方のご参列はご遠慮いただいておりますが、ウェブ配信を予定していますので、心を合わせてお祈りくださいますようお願いいたします」。こうあるように、追悼ミサの様子はユーチューブでのライブ配信で見ることができる。

故ジョセフ・チェノット大司教追悼ミサ

 

ミサに先立って、当日の午前11時半~午後1時半、追悼ミサに参加しない人もカテドラルでチェノットゥ大司教にお別れをすることは可能だという。

チェノットゥ大司教は小脳梗塞(こうそく)による大孔(だいこう)ヘルニアのため、8日の午前1時29分、入院先の聖母病院で帰天した。76歳。

菊地功東京大司教区大司教によると、その経緯は次のようだった。

チェノットゥ大司教はすでに昨年、駐日大使としての役職の定年を過ぎていたが、教皇フランシスコ訪日の準備でそれを延長したため、来日から約9年という長い在任期間となっていた。年明けに休暇で故郷インドに戻る予定だったが、新型コロナ・ウイルス感染症のために取りやめとなり、東京の大使館で自粛生活を送っていた。そのような中、5月8日早朝に自室で倒れ、駿河台日大病院で緊急手術を受けることに。また、倒れたとき体にさまざまな損傷を受けたため、複雑な手術が数回続いた。その後、意思の疎通も可能になってきたことから、8月初めに聖母病院へ転院し、なんとか車椅子でもインドに帰ることができるよう懸命な闘病生活が続いていたところだったという。

菊地大司教はこう続ける。

葬儀はインドの故郷で行われますが、その前に日本でも追悼ミサを行う予定で調整中です。なにぶん現役の外国大使の帰天ですので、日本政府も関わる調整となります。日時については決定次第、大使館から公表されるものと思います。……

大使は、2011年来日直後、仙台で開催されていた日本と韓国の司教団の集いに出席され、一緒に石巻を訪問されました。そのときからいまに至るまで、東北の復興には常に思いを寄せてくださいましたし、それを教皇様にもしばしば伝えてくださいました。そういった配慮が、昨年の教皇訪日にあって、教皇様ご自身から、東日本大震災の被災者との集いを行いたいというリクエストとなりました。

また教皇大使の重要な役割の一つが、司教選任手続きにありますが、チェノットゥ大使の最初の選任手続きは札幌の勝谷司教でした。ちょうどそのときわたしが札幌教区の使徒座管理者を兼任していましたので、何度も何度も、丁寧なやりとりを重ねたことを覚えています。

チェノットゥ大司教の長年の教会への貢献と信仰のあかしに、御父が豊かに報いてくださいますように。R.I.P.(ラテン語「requiescat in pace」の頭文字で「安らかに眠れ」という意味、英訳は「rest in peace」)

43年、インド南部ケララ州生まれ。69年に中華民国(台湾)カトリック台南教区の成世光司教により司祭叙階。73年には教皇庁聖職者アカデミーでの学習を終え、以降、外交官としての道を歩む。77年からカメルーンやトルコ、イラン、教皇庁国務省外務局、また臨時教皇大使代理としてベルギー、スペイン、北欧諸国、中華民国(台湾)で活動。95~96年には中華民国臨時教皇大使代理を務めた。

99年、教皇ヨハネ・パウロ2世によりミレヴィ名義大司教、また中央アフリカ共和国およびチャド共和国の教皇大使に任命され、同年、司教叙階を受ける。

2005年、教皇ベネディクト16世によりタンザニア連合共和国、11年には日本の教皇大使に任命された。19年11月、教皇フランシスコが来日した際に教皇大使として出迎えたことは記憶に新しい。

カトリックの総本山であるバチカン市国と日本の交流の歴史は、大航海時代の1549年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝え、多くのキリシタン大名と信徒が誕生した時代に始まる。82年には天正遣欧少年使節、1613年には慶長遣欧使節がバチカンを訪れている。

1919年、日本にローマ教皇庁使節館が設置され、42年には両国の正式な国交が結ばれた。58年に日本はバチカン市国日本公使館を大使館に格上げし、66年にはバチカンも東京のローマ法王庁公使館を大使館に格上げした。ちなみに、現在の駐バチカン特命全権大使は岡田誠司氏が着任したばかりで、バチカン・ニュースによると、先月29日に教皇フランシスコは岡田大使から信任状を受け取った。

バチカン図書館やバチカン機密文書館には、400年以上の長い歴史の中で蓄積された日本に関するさまざまな資料が残されている。宣教師の報告、キリシタン関係や遣欧使節の資料、近代のローマ教皇庁と日本政府の外交関係資料などで、まだ調査や研究の及んでいない文献もその中には含まれている。

2019年、日本と教皇庁との交流が始まってから100年目を迎えたことを記念して、今年の10月21日~11月30日、東京の国立新美術館で「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」を開催する予定だったが、新型コロナ・ウイルス感染拡大に伴い会期を変更することになった。「キリストの埋葬」はバチカン美術館を代表する名品。バチカンと日本の文化交流を深めるこうしたプロジェクトにもチェノットゥ大司教は関わっていた。

 






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