6月22日は山本周五郎の誕生日

 

今日6月22日は山本周五郎の誕生日。

山梨県初狩の生まれですが、父方の祖父が婚前に身ごもった母を認めなかったため、祖父の姉の家の物置小屋で生まれます。イエスが馬小屋で生まれたことで、周五郎は親しみを持ったといいます(木村久邇典『山本周五郎』上巻)。

7歳の時に横浜に転居し、キリスト教信者だった父親に連れられて近所の教会の礼拝と日曜学校に通いました。

日曜学校で英語の讃美歌を習ったりしたのは、父の逸太郎がひそかなキリスト信者であった感化にもよるだろう。(木村久邇典『続山本周五郎襍記』中央大学出版部)

子供のころに、日曜学校にいったこともあるとかで、讃美歌なども、英語でうたっておりました。昔の教会は、日本語に翻訳した歌詞ではなくて、英語のを教えたんだそうです。それを、そのまま、 ずうっと覚えておりました。父の逸太郎もクリスチャンだったらしいということですから、そんなことで、教会へ通わされたのかもしれません。聖書なんかも、 晩年になって、たぶん、『ちくしょう谷』なんかを書いたころ(昭和三十四年)だったと思いますが、読み返していたようです。(清水きん『夫山本周五郎』文化出版局)

昭和三十四年の、夜気がつめたく感じられるほどふかい秋だった。山本さんはもうかなり酩酊(めいてい)してい、 車のなかで、それがおはこの、讃美歌『主よみもとに』や『また逢う日まで』などを大声でうたうのである。(木村久邇典『山本周五郎襍記』中央大学出版部)

また、幕府による取りつぶしから仙台藩を守った家臣の原田甲斐の自己犠牲を描いた歴史小説『樅(もみ)ノ木は残った』などの執筆のおりには、聖書を読み返していたそうです。

キリスト信者だった父の逸太郎氏の影響でもあったのか、幼時、日曜学校に通ったという山本さんは、長じてのちも、他の宗教よりは、キリスト教に対して、やや深い関心をもち続けたようであった。晩年の一時期……、山本さんは……新・旧約聖書や、小塩力氏の『聖書入門』などを読んだ。(木村久邇典『素顔の山本周五郎』新潮社)

『おごそかな渇き』は「現代の聖書を描く」と言って取りかかり、それが絶筆となりましたが、晩年の作品は宗教的色彩を深めていきました。「朝日新聞」で連載にあたっての作者の言葉で次のように書いています。

欧米の作家についてもっともうらやましいと思うのは、老年になるときまったようにキリスト教に帰ることだ。……この小説では、相変らず貧しい人たちの舞台であるが、その中で宗教と信仰の問題にぶっかってみるつもりである。

特に恵まれた人たちはべつとしても、私どもいちばん数の多い人たちは、生活するだけでも常に、困難と拒絶と排斥と嫌悪に当面しなければならない。けれども私は、その中にこそ人間の人間らしい生活かあり、希望や未来性があると信じている。その中で宗教と信仰がどういう位置を占めているかを探求してゆきたいと思う。

 

 






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