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同志社大学教授の木原活信さんが講演 「山室軍平が今日に問いかけるもの」

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木原活信(きはら・かつのぶ)さん(同志社大学社会学部教授)による講演「山室軍平が今日に問いかけるもの」が7日、救世軍神田小隊(教会)で開催された。神田小隊開戦(開拓)120周年を迎えることを記念したものだ。

木原活信さん=7日、救世軍神田小隊(東京・神田神保町)で

木原さんは冒頭、このように挨拶(あいさつ)した。

「私が自己紹介をする時にいちばん大切にしているものはただ一つ。『キリスト者』であるということです。さまざまな肩書もありますが、自分を表すのは、本当にシンプルなこのひとことだと思っています」

続いて、次の聖書箇所を開いた。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。……信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(へブライ11:1~2、6)

「この後には、アブラハムやモーセなど、旧約の聖徒たちの名前が多く引用されています。これらの聖徒たちのことを思う時、たくさんの勇気をもらうことができます。

この言葉を日本の人物に当てはめて考えると、私は山室軍平を思い起こします。特に6節にある『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません』という言葉です。山室はまさに信仰によって神に喜ばれる者とされました。そしてこの言葉を、生涯を通して信じきった人でした。

この信仰が私たちにあるでしょうか。山室が今日、私たちに問いかけるものとは、このようなことではないかと思うのです」

山室は1872(明治5)年、岡山県の貧しい家庭に生まれ、その後、養子に出された。高等小学校を卒業後、進学したいと願ったが受け入れられず、家出をして上京。孤独と貧困にあえぎながら迷走していた時、路傍伝道を通して聖書に触れた。

そんな山室に大きな影響を与えたのが、1886年、イギリスの孤児院経営者、ジョージ・ミュラーが来日して同志社で講演を行ったこと。彼は世俗に頼ることなく、ただ信仰によってささげられた献金のみで孤児たちを救済してきた。そして80年間で、日本円にして約129億円あまりの献金を集めたという。しかし、彼が92歳で亡くなる時に手にしていたのは、ぼろぼろになった聖書1冊と30円の現金のみだった。決して自分のためにお金を使うことなく、ただ信仰をもって小さな者に寄り添う生涯を送ったのだ。

その講演録を読んで魂が揺さぶられた山室は、同志社で学ぶ決心をしたものの、生活が苦しく、学費を捻出できるだけの力はなかった。そんなとき、後に牧師となる吉田清太郎という友人が、「この人こそ将来の日本のキリスト教界を背負って立つ選ばれた人物だ」と信じ、学費を工面して山室を支えてくれた。吉田も決して裕福な暮らしではなかったが、それほどまでに山室に魅力を感じていたのだ。しかし山室は、欧米の自由主義神学に影響された同志社に猛反発し、卒業を前にして同志社を飛び出してしまう。

その後、山室は故郷で伝道師をして教会に仕えていたが、どこか自分の居場所を見失っていた時期でもあった。そのころ、岡山孤児院を始めていた石井十次と意気投合し、生涯の友となった。ジョージ・ミュラーの信仰に影響を受けていた二人は、互いに励まし合い、神に道を求めた。そして石井の勧めで、1895年、山室は救世軍に入隊し、98年、神田小隊の初代小隊長となったのだ。

それ以降、山室は、キリストの福音を世に伝え、社会の底辺で苦しむ人々を救済し、日本の社会福祉の基礎を根本から作り上げる大きな働きをした。後に石井らと共に「日本の三大社会事業家」の一人となり、キリスト教界だけでなく、日本社会に大きな影響を与えたのだ。

木原さんはもう一度、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」という聖句を読み、次のように講演を結んだ。

「山室軍平がそうであったのように、神様を信頼する信仰の生涯を皆さまが送ることができますように祈っています」

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守田早生里(もりた・さおり)

守田早生里(もりた・さおり)

日本ナザレン教団会員。社会問題をキリスト教の観点から取材。フリーライター歴10年。趣味はライフストーリーを聞くこと、食べること、読書、ドライブ。

2018年11月17日 患難との戦い(フィリピの信徒への手紙 1:12-20)
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兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、

主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。

キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。

一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、

他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。

だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。

というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。

そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。

(フィリピの信徒への手紙 1:12-20)

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