NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(16)本能寺の変と細川ガラシャ 後編

浅見雅一(あさみ・まさかず)氏が『キリシタン教会と本能寺の変』(角川新書)で「本能寺の変」の新説を提示した。その論拠としているのが、ルイス・フロイスがまとめた「信長の死について」という報告。それは、京の南蛮寺で「本能寺の変」を目撃したカリオン神父の報告が基になっている。フロイス『日本史』5巻第56~58章(143~177ページ)などにも同様の内容が書かれている。当時、フロイスは長崎の島原におり、各地から送られてくる報告をまとめていたのだ。

この「信長の死について」には、カリオンの書簡だけではなく、信長のいた安土城下(滋賀県近江八幡市)にいた20代前半の修道士シメアン・ダルメイダの報告も途中から挿入されている。安土には、関西にいる宣教師の責任者だったイタリア人司祭オルガンティーノ(当時50歳くらい)がいたが、彼は信長に気に入られ、また多くの日本人からも慕われていた。

オルガンティーノらは、「本能寺の変」直後の混乱の中で安土から脱出し、京の南蛮寺に避難しようとするが、その途中で光秀の居城である坂本城(同大津市)に立ち寄っている。安土から琵琶湖西岸にある坂本城までは3、40キロばかりの距離だ。ダルメイダの報告によると、あるキリシタンが、光秀の側近となった甥(おい)に連絡をとり、「オルガンティーノ一行を助けてほしい」と依頼したことから、彼らは坂本城まで連れてこられたのだ。

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坂本城でオルガンティーノは、キリシタン大名である高山右近が明智側に味方するよう説得してほしいと頼まれる。彼はその場の状況を考え、日本語では言われたとおりに書いたものの、右近なら読めるローマ字の書簡では「絶対、光秀についてはならない」と伝えたという。

そして、次のダルメイダの記述から、浅見氏は大胆な推論を展開する。

パードレ・オルガンティーノが明智の一人の息子〔十五郎〕を訪ねに城に赴いたところ、街道がすべて占拠されているので、彼〔十五郎〕は、主要な彼の守役を都まで我々に同行させることを望んだが、パードレは、なおも彼の書翰のみで十分であると懇願した。(『キリシタン教会と本能寺の変』237ページ)

その時、坂本城に光秀はいなかったので、オルガンティーノは長男の光慶(みつよし、通称十五郎)に会った。そして、宣教師一行が京まで無事に辿(たど)り着けるよう家臣を同行させようと光慶は言ってくれたのだが、オルガンティーノはそれを断り、「通行許可書だけでけっこうです」と返事したという。

こうした文面から浅見氏は、光慶とオルガンティーノは以前から面識があって懇意にしており、オルガンティーノは光慶に洗礼を授けるためにわざわざ危険を冒してまで坂本城まで来たのではないかと推測する。しかし、フロイスの『日本史』全体を見ても、光秀と宣教師との関わりが書かれている記述はほとんどない。光慶のこともこの部分にしかないので、すべては浅見氏の想像だと思われる。

ダルメイダ報告の文脈をそのまま受け止めると、オルガンティーノらは確かに光慶に助けられて京まで無事に逃げることができたが、それはオルガンティーノ自ら光慶に頼ったのではなく、光秀の側近だった甥を持つ一人のキリシタンが取り計らってくれたからだ。光慶に洗礼を授けるためにオルガンティーノがわざわざ坂本城に来たというのはあまりに根拠がなく、飛躍しすぎているのではないだろうか。

またオルガンティーノとしても、最初から光秀側につくつもりはなかった。光慶が京までお供をつけようと申し出たのは、宣教師やキリシタン大名の右近が自分たちの味方についてくれることを重視したから、つまりキリシタン勢を利用しようとしたからだが、オルガンティーノはそれを断っている。それはつまり明智家が、宣教師の言うことに従うキリシタンではなかったからだろう。

ところで、『細川ガラシャ──キリシタン史料から見た生涯』(中公新書)の著者で浅見氏の妻である安廷苑(アン・ジヨンウオン)氏の質問が本書を執筆するきっかけとなったと前回触れたが、安氏はもう一つの質問をしている。「山﨑の戦い」で光秀を破った右近をガラシャは恨んでいなかったのかというものだ。

ガラシャは、右近の語った福音を夫の忠興を通して聞いたことがきっかけで洗礼に導かれたとフロイス『日本史』には書かれているが、浅見氏によると、それは事実ではなく、ガラシャは右近のことをあまり良く思っていなかったという。

ガラシャにしてみれば、右近は父の仇(かたき)でもある。忠興が右近から聴いたキリシタンの教えをガラシャに話したところで、彼女が忌々(いまいま)しい思いで聴いていた可能性さえあるように思われる。その反対に、もし、彼女がそのまま聴いていたのであれば、彼女にとって右近は取るに足らない存在であったことになる。(同、170ページ)

しかしそうであるなら、「味方になってほしい」という父・光秀からの頼みを断った夫の忠興も「父の仇」であり、「光秀に与(くみ)するな」と右近に伝えたオルガンティーノも「父の仇」ではないだろうか。ガラシャにとって光秀が確かに敬愛の対象であり続けたとしても、戦国時代において主君に弓を引いた父親が四面楚歌(しめんそか)に置かれるのは火を見るより明らかだ。しかも、忠興や右近が父親に味方しなかったことを恨み続けるというのは、いささか解釈が現代的でナイーブすぎるのではないだろうか。

意見した明智光秀を打ち据える織田信長の錦絵(新撰太閤記)

そして肝心の、光秀が「本能寺の変」を起こした理由だが、それを書くとネタバレになるので、ぜひ本書を読んでじっくり吟味してほしい。本書によると、光秀と同じ理由でガラシャも「関ヶ原の戦い」の時に壮絶な最期を遂げたとしている。しかし筆者は、ガラシャはクリスチャンになったことにより、むしろ父親とは真逆の選択をしたのではないかと考えている。

私たちには、鍛えてくれる肉の父がいて、その父を敬っていました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父は私たちの益のために、ご自分の聖性にあずからせようとして、鍛えてくださるのです。(ヘブライ12:9~10)

ガラシャにとって大切だったことは、キリシタンとして真の「主君」を裏切らないことであり、キリストに倣(なら)って十字架の道を歩むことだ。それに比べて父の光秀は、「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これ(世のすべての国々とその栄華)を全部与えよう」という誘惑に負けたと思われる。一方、娘のガラシャは、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」という言葉に従ったのだ(マタイ4:10)。

そういうわけで、安氏が浅見氏に投げかけた二つの質問、「父の仇である右近をガラシャがどう思っていたのか」、「本能寺の変を起こした父親をガラシャはどう思っていたのか」について、筆者なら次のように答えたい。ガラシャは右近をキリシタンとして尊敬しており、自分を「逆臣の娘」としてしまった父親には、その複雑な思いをキリシタンになることで赦しに変え、父親とは違う最期を選んだことで明智家の汚名をそそいだのではないか、と。

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