NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(20)細川ガラシャを介錯した小笠原秀清の信仰

1600年、細川ガラシャ(芦田愛菜)が殉教とも思える死を選んだとき、その介錯を務めた細川家の家老である小笠原秀清(おがさわら・ひできよ)について今回は見ていきたい。細川家に召し抱えられ、後に剃髪(ていはつ)して「小斎」と号したが、この家臣もキリシタンだった。そして、秀清はガラシャを介錯した後、自ら切腹して果てている。

宣教師フロイスは、秀清の洗礼の経緯も『日本史』で報告している。1587年のイースター、ガラシャは初めて教会を訪れたが、その後、細川家の大坂屋敷を出ることができないまま、侍女たちを教会に遣わし、彼女らが次々と洗礼を受ける中で秀清も受洗した。このとき秀清は、ガラシャを警備・監視する務めを忠興から任されていた。

この連載の第6回でも触れたが、ガラシャを監禁した忠興の厳しさをフロイスは詳しく書いている。昼夜問わず妻の監視を義務づけ、自分が外出する時には、どんな人間が家に入り、誰が外出し、どこへ行ったかを書面で報告するよう秀清らに命じたのだ。また、ガラシャにはいかなる伝言も許さぬよう、彼女に伝えられることはその家臣の検問と調査を受けるようにとも。

この奥方(ガラシャ)は、(上記)の重立った番人たち、かつ邸(やしき)の監視人のうちの一人をキリシタンにできうる方法(はなかろうかと)切に望んでいた。……(奥方)は、その(番人)がキリシタンになれば、(彼は)ほかの事情をすべてわきまえて、自らは心安んじ、もっと自由に教会へ伝言を持たせて人を遣わすことができると考えた。(フロイス『日本史』5巻、228~229ページ)

監視の目をかいくぐって侍女たちをたびたび教会に遣わすのも限界があるため、番人の責任者である秀清をキリシタンにすればいいとガラシャは考えたのだ。そのあとガラシャがしたことについて、フロイスの書いたものを分かりやすく書き直すと次のとおり。

ガラシャは、父・明智光秀(長谷川博己)の命日が近づくと秀清を呼び、「父の法事を営みたいので、必要な準備をさせてほしい」と言った。秀清は承知して外に出ようとすると、ガラシャはもう一度秀清を呼び止めて言った。

「私に仕えている侍女たちが、こうした仏式の法事は役に立たない笑うべき行事だとキリシタンは考えていると言っています。そこであなたが教会に行って、本心からのように見せかけて『説教を聞きたい』と頼んでほしいのだ。その後、機会を見計らって宣教師に、『キリシタンの法事と私たちのそれとはどう違うのか』と尋ねてほしい。それでもし私たちの法事が、侍女が言うように役立たないようなものだったら、それを行うこともなく、無駄にお金を費やすこともないだろう」

光秀の命日は6月13日(新暦で7月2日)だから、ガラシャが教会に行ってから3、4カ月後のことだ。「秀清なら、一度教会に行って話を聞けばキリシタンになるだろう」とガラシャはその人柄を見抜いていた。そして、秀清が屋敷を出る前、宣教師にこう伝えていたという。

「こういう男が教会を訪ねてくるが、彼は、ほかの多くの人を改宗させるために私に従う必要のある重要な家臣なので、神のこと、特に仏式の法事とキリスト教との違いについて彼に話して聞かせてほしい」

大坂(の教会)には、我らのうちもっとも優れた説教家であり、今日までに(イエズス)会に入った日本人のうち、もっとも稀(まれ)な才能の持主であるヴィセンテ修道士がいた。彼はあらかじめこのことについて知らされていたので、件(くだん)の男(秀清)が到着すると(ただちに)説教を行なったが、(修道士は)、異教徒たちが陥っている誤り、とりわけ彼らの法事の愚かさと虚偽、またそれらが人々に(なんら)役立ちはしないことを(明)示したので、(その男)は心を奪われ(てしまっ)たかのようであった。(同、230ページ)

ヴィセンテ修道士というのは、若狭(福井県)出身の日本人で、ヴィセンテ・ヴィレラという洗礼名を受け、1580年にイエズス会に入って修道士となった。通称は洞院(とういん)。日本の言語や文学に精通しており、「キリシタン版」の訳業にも携わった。特に関西で活躍したが、87年にバテレン追放令が出ると九州に移り、1609年に帰天。秀清と会った時は50代半ばだった。

彼(秀清)は感心し、キリシタンになりたい気持になって帰って来て奥方(ガラシャ)に言った。「私はいまだかつてあれほどの人(の話)を聞いたことがございませぬ。今ひどく悔やまれますのは、数年前に、いとも馬鹿馬鹿しい(仏式の)法事に、この上もなく無駄な費用をかけたことです」と。そして(彼は)神仏の非常に熱心な信奉者であったにもかかわらず、それからというものは、(それについて)何もかも抛(なげう)ち、ただちに数珠(じゅず)とか、仏僧たちから与えられていた(先祖の)位牌(いはい)を焼いてしまった。(同、230ページ)

それから、秀清の妻の改宗についても触れられている。

それのみか、既述のように、彼にも増して阿弥陀(あみだ)の信心に厚かったその妻までが(その後、キリシタンの)説教を聞きに行くようになり、(彼女は)アガタという(教名の)非常に立派なキリシタンとな(るに至)った。(同、230ページ)

「アガタ」というのは、イタリアのシチリア島で3世紀に殉教した聖人の名前で、キリシタン大名・小西行長の家臣の娘など、関西のキリシタン女性の何人かも同じ洗礼名が与えられている。アガタは貴族出身だったが、「なぜ僕(しもべ)のような生き方をするクリスチャンになったのか」とローマ総督に問われ、「真の意味での貴族とは、キリストの僕であることです」と答えたと伝えられている。とても美しかったアガタは高官からの求婚を拒んだため、信仰を捨てさせるためにさまざまな苦しみにあわされ、ついには乳房を切り落とされて、獄中で息絶えた。そのためアガタの絵では、切り落とされた乳房を皿の上に乗せて持つ姿で描かれることが多い。

最後に、秀清の子についても触れよう。秀清の三男である玄也(長定)もキリシタンで、同じく細川家のキリシタン家臣である加賀山隼人(かがやま・はやと)の長女みや(マリア)と結婚した。

加賀山はもともと高山右近の家臣。10歳でフロイスから洗礼を受け、「ディエゴ」(ヤコブのスペイン語読み)という洗礼名を与えられ、安土のセミナリオ(神学校)で学んだ。バテレン追放令で右近が追放された後、細川家の家臣となり、信任を得て家老に取り立てられた。

1604年の宣教師の報告に、加賀山のことが出てくる。

この日(1604年の復活祭)、小倉全体の主要なキリシタンであり、越中(細川忠興)殿の寵愛(ちょうあい)が篤(あつ)く、国の統治者の一人であるエンリケ隼人(注、加賀山隼人に相違ないが、その名は少なくとも後にはディオゴで、自署している)が、兵士、商人を問わず市(まち)の重立ったキリシタンの男たち全員のために、我らの修道院で素晴らしい宴会を催した。そして、その妻アガタは自宅で、夫の客人たちのすべての妻女たちのために馳走を振舞った。(「1603、04年の日本の諸事」『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第4巻、267~268ページ)

だがこの後、江戸幕府によるキリシタン禁令に膝を屈しなかったため、1619年、忠興の命によって加賀山は53歳で殉教した。そして36年、玄也とみな、9人の子どもも熊本の花岡山(熊本バンド結成の地でもある)のふもとで処刑されている。

花岡山にある小笠原玄也一家の墓「加賀山隼人正息女墓」(写真:服部由愛)

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