【くめさゆりのDAY BY DAY】第3回 Withコロナな日々徒然 久米小百合

都内でまた新型コロナの感染者が200人を超えてしまいましたね。なかなか収束しない、しぶとい相手にウンザリです。皆さまもこの蒸し暑さの中でのマスク着用、できる限りの外出の自粛などでお疲れではないかとお察しいたします。

ミサや礼拝も、やっと再開されたところも多かったのではないでしょうか。私が通う教会も、先月の末から短時間での礼拝が再開されたばかりです。教会入り口と礼拝堂入り口には除菌スプレーとマスクを常備、会衆席の間隔はたっぷり空け、讃美歌は歌わず歌詞を朗読、献金箱も回さず各自が入り口で献(ささ)げ、牧師のメッセージも15分くらい・・・と、コンパクトにまとめられた礼拝の時ではありますが、まだまだ自宅で主の日を守られる方も少なくありません。

特に医療の現場や介護施設で働かれている方、幼稚園保育園の先生方、学校勤務の方々などは大変慎重です。「礼拝出席したいけど・・・もし私が感染すれば、また休園、職場の全ての人たちに迷惑かけちゃうから・・・」幼稚園勤務の方からの涙メール、コロナが憎い夏です。

実はこのコロナ禍でやっと再開した日テレ文化センター(読売カルチャー教室)では、簡単な聖書のお話をさせていただいているのですが、今季のテーマはズバリ【病と聖書】なんです。それで色々情報を調べていたら、出てくる出てくる!けっこう深刻な病のお話からちょっとした発熱まで、たくさん見つかりました。

聖書の世界では感染症や伝染病の症状を「疫病」として捉えているようですが、それだけ太古の昔から人類は病苦と戦ってきたということですよね。それまで健康だった人が突然熱を出したり皮膚に発疹が表れたりすれば、その病魔の正体を霊的な世界に求め、病を負ってしまった人の人生や環境、信仰心の有無などにも原因を探るのも当然と言えるのかもしれません。私たちのご先祖が未知の病原菌の存在に気付いたのは、もっとずっと後の時代ですから。

でも改めてすごいと思えるのは聖書が伝える対処法というか治療までの歩みです。旧約が教える「手洗いの厳守」、「死んだ動物や死者に触れることの禁止」、「食用には禁じられた動物のリスト」、「万が一罹患(りかん)してしまったらしばらくの隔離が必要」など、まだ病院という医療施設のない時代に、よくぞまぁここまで徹底して、感染症対策を練り上げたもんだと感心しました。

これ、本当にクリスチャンのお医者様が、ある記事で書かれていたのですが、レビ記にある詳細な禁止令の数々は、エボラ出血熱やペストを予防するために医学的にも意味のある記述なんだそうですよ。数千年以上前のお話ですから、顕微鏡なんてありませんし、当然PCR検査なんて出来ない時代に。不思議な神様からの知恵がイスラエルに示されたのですね。

だけどもっとすごいのは新約のイエスさまです。隔離されたり、もう誰も近づきたくない重病な患者に触れて癒してしまう、イエス様にとってはソーシャルディスタンスは余り意味がないようですね。私には、重病人は隔離し距離を取るという祭司の教えは真っ当だと思えますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。自分や家族の健康を願いながら、病の床にある方々の為に手足となるのは難しいことですよね。

この新型コロナの時代にイエス様がいらしたら、どんな風に行動されるでしょうか。マスクやフェイスシールドは気に入られるでしょうか、私たちと同じような予防スタイルを取られるでしょうか。泣く者と共に泣き、笑う者とともに笑うことを教えられた主なので、マスクは口に、神のものは神に返せよなんておっしゃったりして。。^-^;

医療の現場では次々に奇跡的な癒しをなさるのでしょうか、それとも孤独な痛みや不安でいっぱいの患者さん達に静かに寄り添われるのでしょうか…。痛快な癒しのわざばかりでなく、気がついてみたら一晩一緒にいてくれた、黙って微笑んでくれた、そんな主の慈しみ深いまなざしが、今の私にも、またwithコロナの街々にも必要だなぁ、なんて思う今日この頃です。

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