阪神・淡路大震災から24年 関西学院大メモリアル・チャペル

 

阪神・淡路大震災(1995年)で学生15人と教職員ら8人が亡くなった関西学院大学(兵庫県西宮市)は9日、西宮上ケ原キャンパスにあるランバス記念礼拝堂で阪神・淡路大震災メモリアル・チャペルを開催した。学生や教職員、地域住民など約160人が集まった。

同大は、甲山の東に広がる上ヶ原台地にあり、自宅などから通学する学生は、阪急の甲東園駅などから坂道を登らなくてはならない。地方出身者の多くは、大学のすぐ裏にある下宿やアパートなどに住んでいた。地震の起こった午前5時46分、就寝中だった学生は、倒壊した下宿の古い建物の下敷きになったという。

同窓会の調査により判明したところによると、約40人の卒業生も死去した。こうした震災の被害と教訓を語り継ごうとの思いから、震災の翌年から毎年、同大ではメモリアル・チャペルを行っている。

大宮有博・法学部教授(写真:関西学院大学提供)

今回、メッセージを語ったのは、法学部教授で宗教主事の大宮有博(おおみや・ともひろ)さん(48)。新約聖書テサロニケの信徒への手紙1、5章12~18節、特に「弱い者たちを助けなさい」(14節)という聖句から、「ぜひ弱い人のそばに寄り添ってほしい」と呼びかけた。

「当時、私は大学院生だったのですが、市内のアパートで地震に遭い、まだ夜が明けない中を大学へと向かいました。その途中、倒壊した下宿の前で大家さんが『この中に人がおるんや』と大声で叫んでいたのです。今もその場所を通ると、あの日のことを思い出します。

街は復興をとげましたが、心の傷を癒やせないなど、震災から抜け出せず、復興に取り残された人もいます。『復興』という言葉はともすると、弱い人が切り捨てられることだとも感じます。関西学院はこの23年間、弱い立場の人に寄り添って歩めたのでしょうか。今一度見直す必要があります」

その後、亡くなった学生の人数に合わせて15回、ハンドベル・クワイアの学生がベルを鳴らし、全員で黙祷(もくとう)した。

震災から24年経った今、震災後に生まれた学生がほとんど。震災については小さい頃から学んでいても、先輩が15人も亡くなっていたと初めて知り、改めて身近にこの問題を感じた学生もいた。

ランバス記念礼拝堂で黙祷をする(写真:関西学院大学提供)

同大では、阪神大震災での教訓を生かし、防災マニュアルを作成。公式ホームページに「災害時のページ」を作り、キャンパスや自宅、下宿などで地震が発生した場合の対処法、非常持ち出し品リスト、避難場所案内図などが示されている。

1995年1月17日午前5時46分、観測史上初といわれる震度7の激震が兵庫県南部を直撃した。戦後初の大都市直下型地震で、兵庫、大阪、京都の2府1県で、死者6434人、行方不明3人、負傷者4万3792人、全半壊家屋24万9180棟、一部損壊家屋39万506棟、焼損面積約65ヘクタールという甚大な被害が発生。住まいや仕事など暮らしの土台を崩壊させた。24年経った今も、被災者の心の傷は消えない。

 






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