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【インタビュー】映画「教誨師」 監督・佐向大さん(後編)

投稿日:2018年10月15日 更新日:

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死刑囚と対話する牧師を主人公として、「罪とは何か」「生きるとは何か」を深く問いかける映画「教誨師(きょうかいし)」。今年2月に亡くなった俳優の大杉漣(おおすぎ・れん)さんが牧師の佐伯を演じ、最後の主演作ということでも話題になっている。監督で原案・脚本も手がけた佐向大(さこう・だい)さんに話を聞いた。

佐向大さん

──2時間近く、ほとんど教誨室という一つの空間でセリフのやりとりが続くだけなのに、まったく飽きさせないのは、秀逸な脚本と、大杉漣さんをはじめとする出演者の素晴らしい演技のためだと思いますが、教誨室のセットも特徴的ですね。

教誨室は実際に見ることができないので、元刑務官の方に伺ったり、本やネットでの情報をもとにセットを作りました。実際はただの会議室のようなところで行われるらしいのですが、映画では、奥が狭い行き止まりになっている公共施設の廊下を使いました。死刑囚の座っている後ろがただの壁ではなく、すごく奥行きがあるのです。そのおかげで、撮り方によって死刑囚の感じが変わります。現実にはあり得ないでしょうが、死刑囚の見えない心情が浮かび上がる空間になったと思います。

光石研 ©「教誨師」members

──日本の死刑に関しては、隠されている部分が多すぎますね。

死刑制度はほとんどの国でなくなっているシステムであるにもかかわらず、日本では廃止する動きはありません。それはなぜなのか。また、国民の大多数が支持しているということを存続の理由の一つに挙げながら、情報をほとんど開示せず、どこか私たちの生活から遠ざけているように思います。このことに対して、違和感みたいなものは感じています。

ただ、この映画ではそれが直接的なテーマでありません。これから死ぬ定めという死刑囚に対して、「彼らに何を話したらいいのか」ということが、この映画をつくるきっかけとなりました。ただ死刑囚ではなくとも、私たちすべてに死は訪れます。でも、それがいつ訪れるか分からない。死刑囚も拘置所の中で、いつ刑が執行されるか分からないまま生きています。そう考えると、私たちも死刑囚の立場とそう変わらないのではないか。そうだとしたら、どう生きたらいいのだろうか。このことを知りたくて作った作品です。

小川登 ©「教誨師」members

──その問題を、教誨師を通して語りたかったということでしょうか。

元々教誨師は、受刑者に罪を認めさせて悔い改めさせ、まっとうな道に進ませる人だと思っていました。もちろんそれが大きな役割の一つだと思うのですが、いろいろ話を伺ううちに、とにかく教誨師は相手の言葉に耳を傾ける人なのではないかと。「あなたは社会的には許されないことをしたけれども、確実に神は赦(ゆる)してくれます。なぜなら、神はあなたのことを愛しているからです」という話を聞いた時、とても感動しました。聖書の中では当たり前なのかもしれませんが、そこまで受け入れられるのはすごいなと。牧師である佐伯の根底にはそういうことが流れている。強いことだと本当に思います。なぜ、罪を犯した者を赦せるのだろうか。今、何が起こるか分からない世の中で、これは本当に大切なことだと思いました。

大杉漣 ©「教誨師」members

──この映画にとって大杉さんの存在は欠かせません。

「教誨師」は初めから大杉さんありきで進んでいた企画です。亡くなってから8カ月が経ちますが、映画の舞台あいさつをしていても、大杉さんはもういないという喪失感はとても大きい。死者と共に生きることをテーマにしながら、実際亡くなられると、そのことを認めたくない思いがあって、まだまともに映画を観られないところもあります。でも、「あとは頼むよ」と背中を押されたようにも思います。これをスタートにしなければいけないという気持ちが、大杉さんが生きていた頃より強くなりました。いま願っているのは、こういう映画は必要だと常々おっしゃっていた大杉さんの思いが多くの方に届いてほしいということです。

──大杉さんが牧師役を演じられた時のエピソードなどがあれば教えてください。

「宗教的なことをあまり入れないほうが、かえって聖書の一つ一つの言葉が引き立つ」というのが大杉さんの意見で、それを取り入れたりしました。大杉さんはヤクザ役で名を馳(は)せたくらいなので、声には凄(すご)みがあるし、目もちょっと鋭いので、一見そんなに優しい牧師という感じではないんですね。だからこそ、きれいごとを言うだけではない、生身の人間の強さも弱さも兼ね備えた多面的な牧師像を演じていただきました。それは、ご本人の人柄や包容力から来るものかもしれません。終始、「こういう牧師がそばにいてくれたらいいなあ」と思わせてくれました。実際に牧師の方に会うと、落ち着くというか、心が穏やかになりますよね。

古舘寛治 ©「教誨師」members

──クリスチャンでない監督が牧師をどう撮っているのか、多くのクリスチャンが気になるところです。ひとことメッセージをいただけますか。

「罪を犯した人こそ救われる」、「罪を犯しても、愛されているんだ」とクリスチャンが言っても、私自身は「そんなことはないのではないか」と思っていたのですが、この映画を作っていく中で、「でも、それはとても重要なことではないか」と思うようになりました。自分も無意識のうちにずるいことをしたり、人に嘘(うそ)をついたりしていて、たくさんの罪を犯している。それを認める気持ちは大事だと思っています。映画の中では自分なりにそれを表現したつもりなので、どうぞお手やわらかに観ていただければと思います。

「教誨師」
有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサ他にて全国順次公開中
公式サイト: kyoukaishi-movie.com

出演:大杉漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫、小川 登、古舘寛治、光石 研
監督・脚本:佐向大
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

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2018年11月17日 患難との戦い(フィリピの信徒への手紙 1:12-20)
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兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、

主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。

キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。

一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、

他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。

だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。

というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。

そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。

(フィリピの信徒への手紙 1:12-20)

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