李登輝元総統の告別追悼礼拝とキリスト教信仰

7月30日に98歳で召天した「台湾民主化の父」、李登輝(り・とうき)元総統の告別追悼礼拝が19日午前9時時半から真理大学(台湾北部・新北市)の大礼拝堂で執り行われた。遺族の意思を尊重してキリスト教式礼拝の手順で行われ、台湾基督長老教会が協力して、友人や教会の信者仲間、関係者が参列。その様子は総統府の公式サイトやユーチューブでライブ配信された。

台北賓館の弔問会場にある李登輝元台湾総統の遺影(写真:台湾総統府)

政府要人や李氏の家族、また米国務省のキース・クラック次官(両国が断交した1979年以降、訪台した国務省高官として最高位)など外国使節ら約800人が出席し、日本からは森喜朗元首相が参列した。蔡英文(さい・えいぶん)総統から、国家の功労者を表彰する「褒揚令」が授与された後、礼拝が執り行われ、その後、21発の礼砲が鳴らされた。

李氏は、台湾が日本統治時代(1895~1945年)に育ち、親日派としても知られている。日本名は「岩里政男(いわさと・まさお)」で、生涯流暢(りゅうちょう)な日本語を話し、「22歳までは日本人だった」、「難しいことは日本語で考える」と公言していた。

李登輝(右)と曾文恵

李氏は1961年、38歳の時に洗礼を受けたプロテスタントのクリスチャン。その前年、まだ57歳だった母親を亡くして悲しみに暮れていた曾文恵(そう・ぶんけい)夫人が受洗し(母娘ともキリスト教学校の出身だった)、信仰によって心の平安を取り戻していくのを間近で見、また夫人から勧められてキリスト教へ入信したのだ。

また、李氏が最終的に洗礼を受けようと決心させた牧師からはこう言われたという。「見えないから信じない。見えるから信じる、というのは信仰ではない。見えなくとも信じる、それが信仰だ」と。

李氏は政治的に高い地位にいたにもかかわらず、台湾のさまざまな教会で説教も行っていた。特に『旧約聖書』の「出エジプト記」についてよく話したという。夫妻は台北市内の済南基督長老教会に通っていたが、台湾基督長老教会は台湾最大のプロテスタントの教派だ。その信仰については、著書『愛と信仰──わが心の内なるメッセージ』(1989年、早稲田出版)に詳しい。

あるとき李氏は、「お前は60歳になったら山へ入り、人々を伝道するのだ」と言われる夢を見た。以来、「神が自分に告げた使命だ」と信じて、60歳になったら山の人たち(日本統治時代は高砂族と呼ばれた原住民の人々)に伝道活動をしようと決意した。ところが61歳になり、もうそろそろと思っていた矢先、思いがけず副総統に抜擢されたのだ。

そして4年後、蒋経国総統が急逝し、総統に昇格した李氏は、国家を背負う重責の大きさを思い、なかなか寝つくことができなかった。そんな夫を見かねて、夫人が「お祈りしましょう」と聖書を出し、当てずっぽうに開いたページに次の聖句が書かれていた。

「私は常にあなたと共にある。あなたは右の手を捕らえてくださる。あなたの計らいは私を導き、やがて栄光のうちに私を引き上げてくださる」(詩編73:23~24)

これを読んだ李氏は安心して眠りにつくことができたという。夫人も、「神様、あなたが授けた十字架は重すぎて背負いきれません。どうぞ、あなたのお力と知恵を主人と私にお与えください」と祈って支えた。

著書『最高指導者の条件』(PHP研究所)の中で、国の指導者に求められる条件について、次のように述べている。

「私の人生を振り返ると、いかなる厳しい環境に置かれた場合でも、意志を貫くうえでの力の源は信仰であった。総統在任中においても、信仰こそが私の原動力だった。指導者の条件を問われたとき、『絶対に不可欠なもの』として、私は必ず『信仰』を挙げる。信仰を指導者の第一条件とさえ捉えている」

「最高指導者は孤独に耐える力をもたなければ自滅してしまう。そんなときに気力や勇気を与えてくれるのが、信仰なのである。自分の頭上に神が存在していて助けてくれる。そのような信仰が、一国の運命を左右する孤独な戦いに臨む指導者を支える大きな力となる」

「困難な事態にぶつかったとき、私はかならず『聖書』を手にした。まず神に祈る。それから『聖書』を開いて、指差したことを一生懸命に読み、そこから何かを汲み出そうと試みたのである」

会場となった真理大学は台湾基督長老教会の私立大学で、台湾基督長老教会の生みの親であるスコットランド系カナダ人宣教師ジョージ・マッケイ(馬偕)が1882年に設立した牛津學堂が源流。その大礼拝堂は1997年に落成し、李総統(当時)がテープカットを行った。

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