ローレンス・デ・ヴリースさんと月本昭男さん「聖書 聖書協会共同訳」発行記念公開講演

 

新しい礼拝用聖書である「聖書協会共同訳」発行記念公開講演(日本聖書協会主催、上智大学神学部共催)が23日、上智大学四谷キャンパス(東京都千代田区)で開かれ、500人以上の人が集まった。

ローレンス・デ・ヴリースさん==23日、上智大学大四谷キャンパス(東京都千代田区)で

最初に講演したのは、「聖書協会共同訳」の土台となった「スコポス理論」の提唱者でアムステルダム自由大学教授のローレンス・デ・ヴリースさん。聖書協会世界連盟(UBS)の翻訳コンサルタントを25年間務め、2004年のオランダ共同訳聖書翻訳の中心メンバーの一人で、現在は同聖書改訂の諮問委員会会長だ。

「神の言葉と今を生きる私たち──なぜ聖書を翻訳し続けるのか」というテーマで語った。

「ヘブライ語聖書からギリシア語七十人訳、ラテン語訳(ウルガタ)へとなっていく歴史からも、キリスト教は徹底した翻訳の宗教だと言えます。

また、巻物から冊子へといった製本技術の変化、印刷機の発明、そして現代におけるデジタル革命は、聖書翻訳に大きな影響を及ぼしてきました。こういった技術の発展が、聖書の改訂などをより安易に行うことを可能にしています。

教会、教派を超えた多くの人が会場を訪れた。

しかし常に変わらないのは、神の言葉を『現実化』させたいという強い欲求です。特定の翻訳の神聖化は、次の世代の人々の心と生活の中に神の言葉を受肉させることを阻(はば)みます。

翻訳とは受肉です。そして言葉は、空間と時間を旅しながら、繰り返し受肉しなければなりません。私たちの体や言語、文化、典礼の内に受肉することによって、言葉は初めて、キリストの生と死と復活の現実を証しするものとなります。このことから離れてしまった翻訳は偶像にすぎません。あたかも翻訳そのものが神であるかのように崇敬の対象となってしまいます」

そして、次のように語って講演を締めくくった。

「オランダ語や日本語をはじめ、さまざまな言語で救いのメッセージを宣べ伝えながら、神の言葉を世界の果てまでもたらすことが私たちの務めです。この翻訳の伝統は『受肉の神学』に基づいています。この神学を駆り立てるのは、現実化への強い欲求です。新たに刊行された『聖書協会共同訳』も、その欲求から生み出された日本語によるロゴスのもう一つの受肉として歓迎し、完成を祝います」

月本昭男さん

続いて、旧約の編集委員を務めた月本昭男(つきもと・あきお)さん(立教大学名誉教授、上智大学神学部特任教授)が「聖書翻訳と現代──『聖書協会共同訳』によせて」というテーマで話した。

まず、31年前に刊行された「新共同訳」が、カトリックとプロテスタントが協力した点で画期的であったこと、「動的等価」という翻訳理論を基本にしたことでも注目されたことなどを振り返った。その上で、社会史や文化史、生態学、女性学の視座から「新共同訳」と新たな「聖書協会共同訳」の違いを考察した。

「たとえば『新共同訳』では『なんという空(むな)しさ』(コヘレト1:2)と訳されましたが、これでは、人生のはかなさという無常観に立った日本的情感の表出になってしまいます。しかし本来、この世界に私たちの人生の基礎となるような確かなものは存在しないという世界観が表明されているところなので、今回はまた『空(くう)の空』に戻しました。

このように、文化的伝統を大切にすることと、文化的伝統に適合させることは意味が違います。パウロの比喩(ひゆ)を用いるならば、翻訳もまた『接(つ)ぎ木』(ローマ11:16以下)になぞらえられるでしょう。非キリスト教的な日本の文化の伝統に聖書が接ぎ木されることによって、そこから新しい倫理が芽生え、伝統を生かした新しい文化が伸びてゆくということです」

最後に、聖書とエキュメニズムの関連性に触れた。

「私は学生時代より無教会の集まりでキリスト教信仰を培(つちか)われてきました。そのことを承知の上で、上智大学神学部は私を教員として迎えてくれました。その時、『カトリックとプロテスタントの違いを超えて、日本の福音宣教のために互いに尽力しましょう』と言われたことを思い起こします。キリスト信徒は、キリストにおいて、聖書において一つです。私たちの『信仰』ではなく、イエス・キリストの『真実』が私たちをキリスト教徒たらしめるからです。新しい共同訳聖書の刊行にちなみ、改めてそのことをしっかり心に刻みたいと思います」

 






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