コラム

【第2・4金曜連載】クリスチャンな日々(14)厳然たる絶対的なレバニラ定食

投稿日:2020年5月22日 更新日: -

 

主の御名をあがめます。MARO です。

今週もしばしお相手させていただきます。よろしくお願いします。

先ほど、ランチを食べに出かけたのですが、ハンバーガー屋にしようか定食屋にしようか、とても迷いました。「えいやっ!」と決意を固めて定食屋に入ったのですが、今度はレバニラ定食を食べるか豚キムチ定食を食べるかでまたもや迷ってしまいました。そこでまた「えいやっ!」と決意を固めて、レバニラ定食を食べました。とてもおいしかったです。幸せなランチでした。神様に感謝し、お店の人にも「ありがとう」と言い、素敵な午後のスタートを切りました。

(写真:busujima milk)

このコラムを読んでくださっている方の中には、「生きにくい」と感じている方もいらっしゃるかと思います。それにはいろんな理由があると思いますが、可能性の一つとして「決断が苦手」ということが挙げられるかもしれません。

生きていくことは決断の連続です。「決断こそが人生だ」なんて言う人もいます。僕だってランチするだけで「えいやっ!」の決断が2回も必要だったわけですから。

ランチの決断はともかくとしても、人生には決断が必要なことがたくさんあって、決断には意外と多くのエネルギーを消費しますし、心が不安定になったりもします。僕は昔からこの不安がとても苦手で、ひどい時にはその不安のために熱を出して寝込んでしまうことがあるほどでした。それはつまり決断が苦手だということで、決断が苦手だということは「生きにくい」ということに直結します。ですから僕には、「決断の負担を減らす」ということが必要でした。

ある時、僕はいい方法を見つけました。「不安を神様にあずける」ということです。それは、何かを決断する時に「神様、この決断がどんな結果になるにせよ、僕はあなたに従います。受け入れます」と祈ることです。そうすると、心がスーッと落ち着いて、「よしっ! これでゆこう」という気持ちになるのです。少なくとも熱を出して寝込んでしまうようなことはかなり減りました。

自分の決断に対してどんな結果がやって来ようとも、それを「自分のせい」と思わずに、まして「あいつのせいだ」なんて思わずに、「神様のくれる贈り物」と思うこと。

たとえば、ランチに選んだレバニラ定食がおいしくなかったとして、それを「自分のせい」と思っていたら、「なんで豚キムチにしなかったのか! そもそもハンバーガー屋にしておけばよかったじゃないか! ああ、僕はなんてバカなんだろう!」と自己嫌悪に陥ってしまったりします。そして次の決断の時に、「間違ったら、またあの自己嫌悪がやって来る……」と、不安が生じてしまうんです(いや、さすがにランチで「自己嫌悪」はちょっと言いすぎですが、まあ、たとえ話なので、流して読んでくださいね)。反対においしかった時だって、「よしよし、間違ってなかった!」と思うだけで、喜びはもちろんありますが、感謝は生まれません。

でも、この時にその結果を「神様のくれる贈り物」と思っていれば、「神様が今日、僕に食べさせたかったのはこれなんだから、これを食べよう」と、たとえそれがおいしくなくても、後悔も自己嫌悪もなく過ごすことができます。もしそれがおいしければ、「神様ありがとう!」と感謝することができます。そこで神様への「ありがとう」が出れば、おのずとお店の人にも「ありがとう」って言えます。

そして不思議なことに、そんなふうに神様が与えてくれた「レバニラ定食」は必ずおいしいんです。なぜなら、そこにあるのは「豚キムチだったかもしれないレバニラ」ではなく、「厳然たる絶対的な、ほかにはあり得ない唯一の、迷いのないレバニラ」だからです。

……かえってちょっと分かりにくいたとえだったかもしれません。なんだ、その大げさなレバニラは。

それはこういうことです。決断の時にこのように祈ることで、どんな結果がもたらされても、「あの時ああしていたら」という後悔はなくなりますし、ゆえに決断の時の「後悔したくない」という不安もなくなります。「この結果が、神様から僕への贈り物」と、ただそれを受け取るだけです。そして、神様は誠実な方ですし、僕のことを愛してくださっている方ですから、その贈り物は必ず良いものなんです。

「そんなこと言われても、いきなり祈るなんてできないよ」って方は、ごはんを食べる前に、「神様、この食事を感謝します」とひとこと祈ってみてください。そのひとことの祈りが、その食事を「自分で選んだもの」から「神様が与えてくれたもの」に変えてくれます。それを繰り返していると、だんだんと他の決断についても自然と同じように思えるようになるんです。

今日も皆様においしい食事が与えられますように。

それではまたいずれ。MARO でした。

主にありて。

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