【クリスチャンな日々】第22回 ハンバーグにこだわりすぎない 〜幸せの偏食〜

主の御名をあがめます。

MAROです。皆さまいかがお過ごしですか。またお会いできて嬉しいです。今回もしばらくの時間、お相手させていただきます。よろしくお願いします。

先日の連休に久しぶりに実家に帰りました。母から「何食べたい?」と食事のリクエストを尋ねられるのはいつになっても嬉しいものです。ちなみにエビフライを作ってもらいました。おいしかったです。昔から大好物なので。
今では年に何回かしか母に会いませんから、母は会うたびに毎回「何食べたい?」と尋ねてくれます。でもその昔、母の料理を毎日食べていた頃は、毎日リクエストを尋ねてくれたりはしませんでした。母は毎日おいしいものを作ってくれましたが、僕にそのメニューの選択権は基本的にはなかったわけです。でもそれで特に不満を抱いたりはしませんでした。「毎日出てくるものを食べればいいし、それはおいしいのだ」と思っていましたから。まぁもちろん、時には文句を言って叱られたりもしましたが。

幸せって、この「子どもの頃の食事」に似ているところがあると思います。神様は母親のように、人に毎日、幸せを与えてくださる方です。ただ、その幸せは選べません。「これが食べたい!」と子どもが言っても必ずしもお母さんがそれを作ってくれるとは限らないのと同じように、「こういう幸せがいい!」と言っても神様がその幸せを与えてくれるかどうかはわかりません。でも、お母さんが毎日食事を用意してくれるのと同じように、神様も毎日幸せを用意してくださいます。病気になったら何日か食事ができなくなったりするように、いくらかの期間、幸せを感じられないようなこともあるかもしれませんけど、基本的にはお母さんの食事と同じように、神様は幸せを用意してくれます。

でも、せっかくエビフライが食卓にあるのに、「いやだ!ハンバーグがいい!ハンバーグじゃなきゃ食べない!」と文句を言ったら、お母さんは悲しみますし、もしかしたら怒るかもしれません。「じゃぁ食べなくていい!」と、せっかくのエビフライまで取り上げられてしまうかもしれません。同じように「幸せの選り好み」をして、せっかくの幸せを受け取り損ねている人が、現代社会には少なくないと思います。もう少し深く言えば、「幸せの偏食」をしている人が少なくないと思います。

「自分の食べたいものしか食べない」という生活を続けていると栄養が偏って、体を壊してしまいます。同じように「自分の望む幸せだけが欲しい」という生活を続けていたら、価値観が偏って、心が壊れてしまうかもしれません。

僕は基本的にはインドア派なので、外で遊ぶのは昔から苦手なのですけど、先日友人に誘われてキャンプに行きました。「僕の好み」としてはどこかのレストランか何かでおいしいものを食べる方がいいのですけど、せっかく仲良しの友人が誘ってくれたんですし、「出されたものは食べよう」の気持ちで、連れて行ってもらったんです。そうしたら、すごく幸せな時間を過ごすことができました。お母さんが作ってくれた料理を食べてみたらすごくおいしくて、好物になってしまったような感覚です。もし誘われた時に「僕はインドア派だからキャンプはちょっと・・・」と断ってしまったら、大きな幸せを食べ損ねてしまうところでした。危なかった!!

もちろん、お母さんに食事をリクエストすることだって良いことです。神様に幸せをリクエストするのだって、良いことです。でも「ハンバーグが食べたい!」と言っても必ずしもその日にお母さんがハンバーグを作ってくれるとは限らないのと同じように、神様もあなたの望む幸せをすぐに与えてくれるとは限らないんです。でもお母さんはあなたがハンバーグが好きで食べたいのだ、ということは知ってくれているわけですから、いつか近いうちに作ってくれる可能性は上がりますよね。同じように神様に望みを伝えれば、神様はあなたの望みを知ってくれるわけですから、いつかその望みを叶えてくれる可能性は上がります。

ハンバーグを食べたかったらハンバーグを食べたいと言っていいんです。むしろ言うべきです。でも「言ったのにハンバーグじゃないじゃないか!」と文句を言うのはあまり良いことではありません。大切なのはその日に出てきた食事をちゃんとおいしく食べることです。

「祈っても、神様が聞いてくれない」という悩みはクリスチャンの間でもよく聞きます。もちろん、いろんなケースがあるので一概には言えないですが、そんな悩みを持っている人は、「幸せの偏食」に陥りかけていて、せっかくの幸せを食べ損ねているのかもしれない、と思うんです。そして何より、僕自身も「何だか最近、良いことがないな」なんて思っている時期に自分を観察してみると「幸せの偏食」に陥っていることが多いんです。だから気をつけないといけないな、と思うんです。初めての料理を食べる幸せを、自分の「食べたいもの」にこだわるあまり、見逃してしまってないかなと。


今日の献立は何にしようかしら。今は一人暮らしなので、食事は自分で用意しなくてはいけません。でも幸せは自分で用意しなくても神様が用意してくれます。それではまたいずれ。MARO でした。

主にありて。

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