【クリスチャンな日々】第7回 「大丈夫!」の間違った使い方 MARO

 

主の御名をあがめます。

暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。皆様、ごきげんいかがでしょうか。MAROです。今日もまたお相手させていただきます。よろしくお願いします。

さて先日、腰痛が酷(ひど)くて、しばらく寝込んでしまいました。ベッドの中で痛さに呻(うめ)きながら、一つ反省させられたことがありました。それは、「大丈夫!」の使い方を間違っていたな、ということです。

……って、ちょっと分かりにくいですよね。詳しく言えばこういうことです。寝込んでしまう何日か前から少しずつ腰は痛くなっていたんですが、それに気づいて「大丈夫?」と気遣(きづか)ってくれた人に、僕は「大丈夫!」と答えていましたし、自分でも「大丈夫!」と言い聞かせていましたし、「大丈夫!」な自分を証明するために無理をしていました。これがいけなかったな、と思ったんです。周りの人に心配をかけまいと「大丈夫!」に振る舞ったんですが、結果的に寝込んで余計に心配をかけ、何より自分が痛い目にあってしまいました。

人って、「大丈夫?」と聞かれると、つい「大丈夫!」と答えてしまいます。自分では強がっているつもりはなくても、それって実は強がりなんです。「人に心配をかけちゃいけない」って、強がりなんです。

特に日本人はその傾向が強いらしくて、昔僕がアメリカで楽器の修行をしていて手を怪我(けが)した時に、師匠のレッスンを受けに行きましたら、「なんで日本人はそうなんだ! 怪我したら休め!!」とこっぴどく叱られました。2年間、その師匠のレッスンを受けていましたが、この時ほど叱られたことはありませんでした。師匠曰(いわ)く、「その無理で二度と楽器を弾けなくなってしまった奴(やつ)を僕は何人も見てきたんだ。お前はちっとも大丈夫(No Problem)じゃない!」

ルイス・ボラッサ「湖上でペトロを助けるイエス」

そんな視点で聖書を読んでみますと、そこに出てくる人たちって、神様によく「私は大丈夫じゃないです!! もうダメです!! 助けてください!!」って言ってるんです。「神様に心配かけちゃ悪いから……」なんて気を遣う人はいないんです。それで神様のほうも、「そうかダメか! なら助けてあげる!」と助けてくれるんです。まあ、必ずしもすぐに助けてくれるとは限らなくて、「神様! もうダメって言ってるのに、どうしてまだ助けてくれないんですか!」となるケースも多いんですが、でも最終的にはちゃんと助けてくれるんです。そして反対に「大丈夫!」と言っているうちは決して助けてくれません。

大丈夫じゃない時は、ちゃんと「大丈夫じゃない」と言う。助けが必要な時は、素直に助けを求める。これってとても大切なことだと思いますし、健全なことだと思います。すごくシンプルなようで、実は意外と難しいことですけどね。助けを求めたら「甘え」だと思われるんじゃないか、とか余計なことを考えたりもしてしまいますし。

でも「甘え」がダメだなんて誰が決めた!! だって、たとえば子どもや、犬とか猫とかが自分に甘えてきたら、むしろ嬉しかったりしませんか。友だちや大切な人が自分を頼ってくれたら、やっぱり嬉しかったりしませんか。

「大丈夫!」って、使い方によっては人や神様に対して壁を作ってしまうことにもなるし、「大丈夫じゃない!」からこそ始まる愛もあるんだな、と思いました。

「甘えちゃいけない!」って、頑張りすぎてる方はいませんか。壊れる前に甘えちゃいませんか。少なくとも、「いざとなったら甘えよう」と思うだけでも気がラクになったりします。「大丈夫じゃない!」と言う勇気だって必要です。

ちなみに僕の腰痛はその後、仲良しの整体師に診(み)てもらったりして順調に回復しています。まだ「大丈夫!」ではないので、周りの方に甘えることはあるかもしれませんが。

それではまたいずれ。主にありて。MAROでした。

 






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