5月6日は鵜飼猛の召天日

 

今日5月6日は鵜飼猛(うかい・たけし)の召天日。

1866年、幕末の松江に生まれ、19歳の時に志を立てて渡米し、サンフランシスコ日本人教会の美山貫一(みやま・かんいち)牧師の世話になって、翌86年、洗礼を受けます。その後、94年に米国メソジスト教会で按手礼を受けて、翌年、帰国し、青山美以(みい=メソジスト)教会の牧師になりました。そして、日本基督教団・銀座教会(日本メソジスト銀座教会)と鎌倉教会(鎌倉メソジスト教会)などの牧師を務めます。また、日本教会学校協会を創設して主事になり、日本の教会学校の推進に尽力しました。

猛の妻、妙子は、女子学院初代院長の矢嶋楫子(かじこ)の娘。長女、清子は同志社総長の湯浅八郎と結婚します。長男の信成(のぶしげ)は国際基督教大学の学長を務めました。4男、勇は猛の後を継いで銀座教会や鎌倉教会の牧師となり、その妻の栄子は、霊南坂教会の小崎弘道牧師の孫であり、大森めぐみ教会の岩村清四郎牧師の娘です。

鵜飼猛

鵜飼勇牧師の「主イエスとの出合い」(1964年)という文章をご紹介します。

私のまだ幼い頃の出来事である。牧師であった父は、毎週金曜日の朝は食事をしないことになっていた。「金曜日の断食」これは父が信仰生活六十余年に一貫して選びとった厳しい道の一つであった。

ある金曜日の朝早く、私は何のためだか覚えていないが、鎌倉教会の牧師館の薄暗い応接間の扉を開けて思わずそこに立ちすくんでしまった。そして大急ぎでソッと扉を閉めて茶の間に走って行った。私は見てはならないものを見てしまったと思って、誰にも話すことができないで、そのままその時のことを胸に秘めておいた。

その出来事というのは、薄暗い部屋の真中にある椅子の前に跪(ひざまず)いて祈っている父の姿を見たということなのである。天を仰いで、手を合せ、人に語るように神に語りかけている祈りの姿! 眼は半分閉じているが、白眼がくっきりと見えている。この光景は幼い私の心にくっきりと焼きつけられてしまった。

丁度(ちょうど)、ゲツセマネの園に「父よ、みこころならば……私の思いではなく……みこころがなるようにしてください」と、血のしたたりのような汗を流してお祈りになった主イエスのみ姿を思い出させる厳粛な一瞬であった。金曜日毎(ごと)に父が断食していることが、この祈りに連っているということは、だいぶ後になって理解できるようになった。

私が牧師、伝道者として召されて立ち上った背後に、この父の祈りがあり、この厳粛な一瞬が、私のすべての生活を支配していると云っても過言ではない。(後略)

 






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