地震のあった新潟県村上市へ支援のため急行 神戸国際キリスト教会牧師 岩村義雄

 

私たち神戸国際支縁機構第97次東北ボランティア一行が宮城県石巻市渡波から帰途に就こうとする18日午後10時22分時、緊急速報が入りました。そして、関西の事務局メンバーから、地震や津波の規模について情報が入り始めました。山形県、新潟県の各地域のブラックアウト何軒、津波避難者が何人、どこそこの小学校などに避難しているとの数字が次々と私たちのハイエースに寄せられました。

岩村義雄氏

東北自動車道を走っている途中、新潟県、山形県へと向かう道路標示が目に入りました。現地へ行くかどうかを話し合い、避難所に支援物資を届けようと決断しました。途中、コンビニで200人分の食料を購入し、郡山ジャンクションから磐越有料道路に入り、新潟・山形のどちらにもでも行けるように備えました。

道路は寸断されておらず、関西の事務局からリアルタイムで寄せられる被災状況を聞きながら、新潟から北上して村上市のどこへ行くべきか、さらに北上して山形県鶴岡市のどちらに向かうべきか、指示を待ちました。

新潟県庁や村上市などの役所に直接問い合わせてみたところ、錯綜した情報の中で、避難所の支援物資を受け入れる判断はどこもまだ準備できていない様子でした。「もうしばらくしないと分からない」などの返答ばかりでした。

避難所の人たちがそれぞれユーチューブで、人数や場所、安否などをランダムに発信し始めていました。地域の住民の方たちが、どこが危険で、負傷者がいるかどうか、何が必要か、道路の寸断について詳細な情報を伝えていたのです。

村上市に向かう途中の胎中市で、高速道路の通行止めがあったので下道に降り、村上市から40キロ北にある府屋に向けて初めての道路を走りました。私たちの車にはナビは装備されていません。GPSに従ったら、道がないという経験を何度もしてきたからです。そのため、地元の人たちに聞きながら現場に向かうのを常としています。被災地の息づかいも同時に知ることができるからです。

府屋の山北総合体育館に19日未明に着きましたが、警報解除により、避難者がピーク時の200人から140人に減っているため、朝食をどうするか、役所の人たちは即答できませんでした。午前4時を過ぎると明るくなり、周囲がおぼろげに識別できるようになってきました。

避難所で親しくなった村山幹大(かんた)君(13)は野球部に属し、深夜、避難所に来たものの、家の損壊を心配していました。伊藤華帆(かほ)さん(16)は、小学校1年生の時に経験した東日本大震災の揺れを思い出したと語られました。同じ高校1年生の大滝心さんは、落ち着いて地震を受け止めておられました。

 






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