「カトリック教会」の名付け親は、教科書でもおなじみのあの人

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◆347年1月11日 テオドシウス帝の誕生日

テオドシウス帝は「キリスト教の保護者」と呼ばれ、キリスト教をローマの国教にした皇帝として世界史の教科書にも名前が刻まれています。ローマ帝国は東西分裂を繰り返していましたが、これを統一した最後の皇帝となりました。元々は東ローマ帝国の皇帝で、東ローマの国教としてキリスト教を採用したのち、392年に東西統一した時に、東西両方の国教としました。

Theodosius offers a laurel wreath to the victor, on the base of the obelisk in the Hippodrome (Istanbul) *”’Source:”’ English Wikipedia, original upload 9 July 2004 by Jfruh {{GFDL}}

宗教的な内紛を解決するために380年に、325年のニカイア公会議での決定事項を正当と認め、この教えを「普遍的(カトリック)」とし、その教えに従う教会を「普遍的教会(カトリック教会)」と呼び、すべての人がこの教えに従うように命じました。この教会が現在まで続いて、今のカトリック教会と呼ばれているわけです。

ちなみにカトリックは「普遍的」ですが、東の正教会は「正統的」を掲げますし、プロテスタントは「教えを守る者」すなわち「保守的」という意味です。

それではまた明日。

 






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