死してなお、首を斬られたクロムウェル 

おはようございます。
今日もクリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

◆1649年1月30日 清教徒革命でチャールズ1世が処刑された日

清教徒革命はイギリスで起こった社会革命で、王政が倒され共和制が一時的に成立しました。が、1660年には王政復古が行われ、革命は失敗に終わったと言えます。清教徒またはピューリタンと呼ばれるクリスチャンの一派がその中心になったのでこのように呼ばれます。

英語で言えばPuritanで、PureやPurityに由来する言葉ですから「純潔、純粋な人々」という意味です。「バカ正直」のような意味もあり、最初は蔑称として周りから呼ばれ始めた呼称でしたが、後に自分たちでも名乗るようになりました。

チャールズ1世は王権神授説という「王というのは神様が任命したんだから、ものすごく偉いんだ!誰も文句言うな!」立場をとった王だったので、議会と対立し、しかもわがままな政策を行なったので、この革命を引き起こしてしまい、そして1649年の1月30日に処刑されてしまいました。

しかしこの革命の指導者だったクロムウェルも、共和制の時代に御国卿となりイギリスの指導者になりましたが、その治世は失敗に終わったと言えます。1959年になくなりましたが、王政復古後の1661年、チャールズ1世が処刑された日に、「王を処刑した反逆者」として墓を暴かれ、その遺体が斬首されました。

・・・死者に鞭打つ、というか、死者の首を切るなんて恐ろしい・・・。

それではまた明日。

 






メルマガ登録

最新記事と各種お知らせをお届けします

プライバシーポリシーはこちらです

 

オンライン献金.com