妹に聖書をプレゼントしたけどキリスト教は嫌いだった石川啄木

おはようございます。
今日もクリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

◆1886年2月20日 石川啄木の誕生日

石川啄木は明治時代の詩人で、

はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

の詩がとても有名です。

・・・と、この詩からは貧しさに耐えて真面目に生きる「清貧」のイメージを受けるのですが、実際の啄木はむしろ浪費家で、働いて稼いだお金だけでなく、人から借りたお金まで遊廓で使い果たしてしまうような、いわゆる「放蕩息子」な方だったようです。そりゃ生活も楽にならないでしょう・・・

さて、そんな啄木さんも、聖書はずいぶん読んだようで、妹がカトリックの学校に入ったときは「これを読め」と、聖書をプレゼントしたのだそうです。しかし啄木自身はキリスト教は好きではなく、むしろ唯物論者を自認していたようで、キリスト教を信じる妹とよく論争をしたようです。それについてこんな詩も残しています。

クリストを人なりといへば
妹の眼がかなしくも
われをあはれむ

また日記にも「妹は天国があると信じている。悲しくもそう信じている」と書き残しています。そして教会批判もしています。

何かを嫌いになるには、その何かについて知らなければなりません。キリスト教をちゃんと嫌うためには、聖書を読まなくてはいけないのかと、そんなことを思わされます。僕も昔はキリスト教を否定するために孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の精神で聖書を読んだりしたものです。

後にこの妹さんは聖公会の伝道師になりました。

それではまた明日。

 






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