風呂好きキリシタン大名の最期はクリスチャンのお手本

おはようございます。
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◆1595年3月17日(文禄4年2月7日) 蒲生氏郷の召天日

蒲生氏郷(がもう・うじさと)は織田信長と豊臣秀吉に仕えた知勇兼備の名将で、奥州会津92万石を領するキリシタン大名でもありました。また、利休七哲の筆頭と称されるほど、茶湯の道にも通じた人でした。宣教師オルガンティノは彼を「優れた知恵と万人に対する寛大さとともに、合戦の際、特別な幸運と勇気の故に傑出した武将である」とローマ教皇に報告したそうです。智勇兼備で文化人で、おまけに優しい。完璧すぎます氏郷さん。

毎月、家臣を集めて評定を行いましたが、そこでのルールは「恨まず、怒らず」で、参加者みんなが上下関係やしがらみなどに縛られず自由闊達(じゆうかったつ)な議論を行ったのだそうです。そして会議が終わると、当時は贅沢とされていた風呂を氏郷自身が沸かして家臣をねぎらったのだそうです。・・・なんかもう「上司にしたい戦国武将No.1」です。もしかしたらイエス様が弟子たちの足を洗ったエピソードを意識していたのかもしれません。

高山右近にキリスト教の話をさんざんされ、最初は興味がなかったようなのですが、ある時「いいから説教に来てみてよ」と教会に誘われ「一度だけなら・・・」と行った教会で感激し、洗礼を受けたと言われています。その時、レオンという洗礼名を授けられました。洗礼名までなんとなくかっこいい・・・。高山右近とはその後、キリシタン仲間としても茶湯仲間としても仲が良かったそうです。

40歳の若さで病死してしまうのですが、その最期を看取ったのも右近でした。右近は弱りゆく氏郷の枕元に最後まで付き添い、聖像をかかげ、祈り、天国のことを話し続けました。氏郷はそれに深くうなづき、聖像を見つめながら息を引き取りました。逝く方も見送る方も、クリスチャンのお手本のような最期でした。

それではまた明日。

 

 

 






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