物事の認識のために、避けるべきは偏見か偶像か。

おはようございます。
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◆1626年4月9日 フランシス・ベーコンの召天日

近世以降の哲学者というと「神を否定し、科学を肯定した」というようなイメージを持たれがちですが、実は彼らの多くは少なくとも個人的にはキリスト教徒でした。イギリス経験論の祖とされるフランシス・ベーコンもその一人で、敬虔なプロテスタントの家に育ち、彼自身も強い信仰を持っていました。

彼の思想に登場する、人間が物事を認識する時に邪魔になる「4つのイドラ」という概念がありますが、この「イドラ」という言葉、日本語では「偏見」とか「先入観」と訳されるのですが、元々はキリスト教の「偶像」と同じ語です。このことからも、彼の思索がキリスト教信仰に立脚していることが分かります。

物事を正しく認識するには先入観を捨てなければいけない、と言われると日本人でも納得しやすいですが、偶像を排せよと言われるとちょっと分かりにくくなりますよね。でも、反対にいえば「偶像を避けなさい」というのは「先入観や偏見を避けなさい」とも読み替えられることもあります。もちろん「逆は必ずしも真ならず」で、常にこう読み替えられるわけではありませんが、この読み替えが理解の助けになることもあるかと思います。

それではまた明日。

 






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