中原中也の晩年の救いは教会だった

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◆1907年4月29日 中原中也の誕生日

中原中也は『汚れっちまった悲しみに・・・』の詩で有名な詩人であり歌人です。独特な作風で室生犀星や萩原朔太郎から高い評価を得ましたが、脳膜炎により30歳で亡くなりました。

晩年は鎌倉で過ごしましたが、その頃の彼の日記が『ボン・マルシェ日記』として残っており、中也がどのような晩年を過ごしたのかを知ることができます。それによると、鎌倉に移る前に長男を亡くした中也は「愛するものが死んだ時には、自殺しなけれあなりません」と詩に残すほどの悲しみに暮れ、心身を病みましたが、その中でカトリックの天主公教会(現在のカトリック由比ヶ浜教会)に通っていたことがわかります。洗礼は受けなかったようですが教会の語る十字架のメッセージが中也にとって大きな慰めになっていたようです。

「私には十字架に釘付けられたといふことが、キリスト教の最も力強く思はれる所以である」という言葉を残しています。

また、中也はもともとは柏原姓でしたが父親が中原家の養子になったことで中原姓を名乗るようになりました。その中原家の、中也にとっての養祖父母はクリスチャンだったので、幼い頃から中也はある程度キリスト教に親しんでいたのかもしれません。また、ヴェルレールをはじめとするフランスのキリスト教詩人も愛読していましたから、愛する子を失った絶望の中で教会に救いを求めたのは中也にとって自然なことだったのかもしれません。

それではまた明日。

 






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