アンネ・フランクの「形見」は美しいバラです

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◆1929年6月12日 アンネ・フランクの誕生日

ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の中で記された日記として世界中で2500万部を超えて発行された『アンネの日記』は、1942年の6月12日から始まりました。この日にアンネは13歳の誕生日プレゼントとして日記帳を贈られ、日記を書き始めたのでした。

アンネの生まれたフランク家はユダヤ教の家でしたが、特に熱心というわけでもなかったようです。それでもアンネは日記の中で「神様が私を長生きさせてくださるなら、私は世界と人類のために働きます。戦争が何の役に立つのでしょう」と記しています。アンネの死後、この意志を引き継いだ父親のオットー・フランクは1947年に娘の日記を『アンネの日記』として出版し、生涯をかけて宗教間の和解、特にユダヤ教とキリスト教の和解に尽力しました。

このアンネの意志を引き継いだのはオットーだけではなく、1959年に、育種家のヒッポリテ・デルフォルへという人が、自分が作り出したバラの中から最も美しい品種を、「アンネの形見」として捧げました。このバラは1971年に日本の聖イエス会という教団の合唱団がイスラエルに行った時にオットーと出会ったことをきっかけに1972年に日本にもやってきました。そのバラは接木や種の配布によって各地の教会に広まり、愛されています。1980年には兵庫県の西宮市に「アンネのバラの教会」が建てられました。

このバラは蕾の時は赤く、開花すると黄金色からピンクへと色が変化しますが、これが「もしアンネが生きていたら」という、戦争の悲劇によって失われてしまった大きな可能性を象徴するのだそうです。

それではまた明日。

 






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