2月21日「神が結び合わせてくださったもの」

ニ人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(マタイによる福音書19章6節)

この時代、ユダヤ人の生活を律する法はモーセの律法であった。離婚について、申命記には「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の子に渡し、家を去らせる」(24・1)とある。律法学者の間で「恥ずべきこと」をめぐって、これを「姦淫(かんいん)」に限定する解釈と、「夫が恥ずべきと思ったこと」とする拡大解釈があった。女性の人権が軽く見られていた時代であり、後者の解釈が幅を利かせていたらしい。

人々は主イエスがどの解釈を取るか試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているか」と問うた。主は創世記から神が定めた結婚の意義を語り、今日の聖句をもって離婚を否定した。そして、申命記の律法はモーセが一方的に離縁される女性を守るため、条件つきで離縁を許したのであると説明した。さらに、主は男性にも妻に対する貞節の義務を語り、男も女も神の前では平等であることを強調した。この言葉は古代の家父長制時代にあって革新的であった。弟子たちすら理解できず、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。主は離婚を律法的に禁じたのではなく、結婚の祝福を語ったのである。結婚は人間の思いを越えた神の御旨によるのであり、二人がそのことを信じて、どんなことがあっても関係を切らないと約束することによって、神の祝福にあずかる。結婚の祝福とは、離別の危機を神の助けによって乗り越え、相互の信頼と感謝の絆が築かれてゆくことである

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