6月20日「キリストに仕える者」

人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。(コリントの信徒への手紙I 4章1節)

管理者とは、主人から財産や仕事を任されている者である。管理者はオーナー(所有者)ではない。管理者は主人のものを預かって、これを主人の意向に沿って活用する。人間は神からさまざまな賜物を委ねられた管理者であるというのが、聖書の人間観である。創世記は、神は人を「エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」(2・15)と語ることによって、人間は神から委ねられたものを「耕し、守り」、神に対して責任を果たすべき管理者であると告げる。

神が管理者である人間に期待されることは何か。「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして、互いに仕えなさい」(Iペトロ4・10)とあるように、私たちがどんな仕事であれ、どんな境遇であれ、これを神が与えたものと受け止め、これを生かし、これをもって互いに仕え合うことである。

今日の聖句は、キリスト者は神の秘められた計画を委ねられた管理者であると語る。「神の秘められた計画」とは、神がご自身に対して責任を果たしていない人間の罪を赦(ゆる)し、ご自身との正しい関係を回復する救いの計画であり、キリストに啓示された神の福音である。キリスト者は福音を委ねられた管理の者として、神に対して忠実であることが求められる。私たちは福音を曲げないで、これを人々に宣べ伝えなければならない。そのためには、絶えず神の言葉を聞き、祈って神の指導を仰ぐことが大切である。「忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕(しもべ)は幸いである」(ルカ12・42〜43)。

 






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