8月31日「天からのものだったか、人からのものだったか」

ヨハネのバプテスマは、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。(ルカによる福音書20章4節)

祭司長、律法学者たち、長老たちは、主イエスが神殿で教え、また大胆に行動しているので、「何の権威でこのようなことをしているのか」と言った。これに対して、主イエスは今日の聖句によって彼らに質問した。ヨハネはイスラエルの民に向かって、罪を悔い改めて神に立ち帰れと説き、バプテスマを授けていた。しかも、ヨハネは主イエスを神の子と証しし、自分はその道備(みちぞな)えにすぎないと告白した。主イエスはヨハネの預言者としての権威を認めている。しかし、祭司長や長老たちは主の質問に分からない」と答えた。彼らはヨハネを預言者と信じる民衆を恐れ、自分たちの権威を保とうとした

権威は人を動かし、生かす力である。この世の国家、司法、宗教、教育、家庭という組織には各々(おのおの)の権威がある。それらの権威によって社会や家庭の秩序は守られ、生かされる。これらの権威は神から委ねられているのであるが、神を無視して、委ねられた権威を私物化するところに罪がある。罪によって権威は腐敗する。他者を生かすのでなく、かえって殺すものとなる。教会も、神の言葉を託されている点において、神から権威を委ねられている。教会は神の言葉を私物化する罪を犯すことがないように自戒しなければならない。

主イエスは人間の罪を明らかにすると同時に、罪を赦(ゆる)す権威を持っている(5・24。主イエスに罪を赦されて、神の支配に身を置く者は、地上の役割を神から委ねられたものとして、神に対して責任を負う。このゆえに、権威にしがみつくことも、人を怖れることからも自由にされる。

 






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