9月17日「わたしたちが救われるべき名」

わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。(使徒言行録4章12節)

ぺ卜ロたちが人々に主イエスの復活を語っているので、ユダヤの指導者たちはいらだち、二人を捕えて投獄した。次の日、最高法院が開かれ、議員、長老、律法学者たちが集まって、二人を尋問した。その時、ペトロは指導者たちに、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名」(10節)について大胆に語った。

キリスト教の福音の中核は、主イエスの死と復活である。死者の復活が信じがたい出来事であるからと言って、これを取り除いて語るならば、それは福音ではない。使徒たちに復活の主が現れたので、彼らは主イエスが約束されていた救い主であると知った。その十字架の死は、神を無き者とする人間の罪を露(あら)わにしつつ、その罪を赦(ゆる)し、人間を神と和解させる贖(あがな)いの死であった。使徒たちは、神の救いの出来事である主イエスの死と復活の証人である。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(2・32)。復活は証明できる出来事ではないが、使徒の証言を聞いて信じる者を、罪の裁きから解放し、死で終わらない命に生かす神の出来事である。

以前は、人を恐れて「その人を知らない」と言い、主イエスを裏切ったペトロであった。しかし、今は、自分の生死を握る権力者たちに、今日の聖句をもって、主イエスの名だけが人間を罪から救い、神との正しい関係に導く唯一の救いであると、「聖霊に満たされて」(8節)語った。「聖霊に満たされて」とは、自分の意気込みではなく、自分の罪と弱さを知って、主に身を委ねる者に、聖霊の主が共にいて、主のをなさせることである。

 






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