2020年10月16日「キリストは私たちの平和」

実に、キリストはわたしたちの平和であります。(エフェソの信徒への手紙2章14節)

神は人が殺し合い、命を粗末にする戦争を望まない。神はイスラエルの律法に、また人間の良心に、「殺すな」という神の意志を刻んだ。神はいつまでも神の意志を踏みにじる世界を放っておかれない。神は時を定めて、神の意志を実現するために人間の歴史に介入される。

今、神は「殺すな」という律法によらず、今日の聖句が宣言するように、御子(みこ)キリストによって平和を実現する。すなわち、神はキリストの十字架によって人の罪を明らかにしつつ、その罪を赦(ゆる)し、敵意という隔ての壁を取り壊す。神の方から、神の意志を踏みにじった罪人に和解の手を差し伸べる。私たちがキリストによって差し伸べられた罪の赦しと和解の手を握って、自分の罪を告白し、赦しを願う時、私たちは神に義とされる。神に義とされ、神との正しい関係を持つようになった者は、人と人との新しい関係を築いてゆく

アバルトへイト(人種隔離)撤廃のために非暴力で戦ったデズモンド・ツツ司教は、和解は罪の事実を認めて、神と人との前に赦しを乞うことである。そのために過去の事実を検証するのである。過去を忘れる者は未来に同じことをする」と語った。神と人間との間が引き裂かれている限り、人間が平和を叫んでも、世界は変らない。キリストによる罪の赦しを受け、神に義とされて初めて、勇気をもって罪を告白し、謝罪が可能となる。罪の赦しを求めるところに、正義と和解が実現する。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ24)

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