11月12日「聖書はわたしについて証するもの」

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、 聖書を研究している。 ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。 (ヨハネによる福音書5章39節)

神は言葉をもって天地を創造した 。人間は神の言葉に応える者として創造された 。神の言葉は天地創造以来、歴史を貫いて響いている。「天は神の栄光を物語り、 大空は御手(みて)の業を示す。 昼は昼に語り伝え、 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう」(詩篇19・1~4)。

ユダヤ人は見えない天地創造者である神を信じ、神の言葉の証言である旧約聖書を持つ民族である。 主イエスは人間に語りかける決定的な「神の言葉」として遣わされた 。主イエスはご自分に躓(つまず)き、神を冒涜(ぼうとく)する者と考えるユダヤ人に今日の聖句を語った。そして、ご自分が父から遣わされたことは、ご自分の業そのものが証しすると答えた新約聖書は十字架の死に至る主イエ スの業を証しするゆえに、神の言葉なのである。

新旧約聖書66巻はさまざまな人々によって書かれ、書かれた期間は千年にも亘(わた)る。しかも、聖書全巻は神の真実と愛を示す言葉が一貫している。この事実は、 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれた」ことを示す(Ⅱテモテ3・16)。すなわち、聖書は神の霊に突き動かされ、 生かされた人たちの記録である 。神の霊が聖書を書かせ、今も聖書を通して、神は人間に語りかける。聖書は時代の制約を逃れられない人間が書いたものであるから、一字一句が神の言葉なのではない。しかし、聖書の著者を突き動かした神の霊が聖書を読む者に働く時、人が書いた聖書の言葉は人間を真に生かす神の言葉となる。

 






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