2020年11月15日「渇いている人はだれでも」

渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネによる福音書7章37〜38節)

主イエスは祭りの場所に来て、今日の聖句で人々に呼びかけた。祭は人々の日頃の憂(う)さを晴らす。しかし、終れば興奮は冷め、空しさが帰ってくる。待っているのは金や権力という、力がモノを言う現実である。力を得るために競い、弱者は切り捨てられる弱肉強食の社会である。 いじめ、不正、暴力が後を絶たない砂漠のような渇いた社会である。しかし、そうした社会を作っているのは、他ならない私た ちである 。

私たちは渇いている。そのことを一番よくご存じである主イエスが、今日の聖句をもって私たちを招かれる。私たちが渇いているのは魂である。もし人間に魂が無かったら、食べることに事欠かず、体が丈夫であり、精神的・本能的な欲求が満たされていれば、それで満足するだろう。 しかし、魂を持っている人間はそうはいかない 。

「主なる神は、土の塵(ちり)で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた 。人はこうして生きる者となった」 (創世記2・7)。人間は肉体の充足を求める生物的存在であると同時に、神の息吹きを必要とする霊的存在として造られた。「来て、飲め」と言われる主イエスは、人の魂を潤す「生きた水」であり、神の息吹きである。孤独な者、病む者、死を恐れる者も、主の許に来るならば、「生きた水」が与えられる。魂の渇きを覚えて、主の許に来る者は幸いである。「神よ、あなたは私たちの魂をあなたに向けて造られたので、私たちの魂はみ許に憩うまで安きを得ません」 (アウグスティヌス)。

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